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2010年1月 5日 (火)

何もかも行末の事みゆるごとき その2

    

     何もかも行末の事みゆるごとき  その2

この歌はまず、過去の心境をうたったものではなく、現在の「このかなしみ」をうたっています。したがって歌を作った8月8日前後の啄木を確認しておく必要があります。前歌「はたらけど」の評釈で書かれた啄木がその啄木です。もう少しくわしく書きましょう。1910年7月16日ころ、啄木は評論「所謂今度の事」を書き始めます。新聞を通じて大逆事件の内容と思想的背景とを国民に知らせ、あわせて厳重な取り調べをを受けている被告たち分けても幸徳秋水を間接的に弁護しようとしたのです。これは当時にあっては非常な知力と理性と勇気とを要する企てでした。こんな事を企てる人は当時の日本では啄木以外一人もいませんでした。そのくらい国家権力の弾圧は厳重を極めていたのです。

啄木は途中まで書いた「所謂今度の事」を東京朝日新聞の弓削田精一編集長代理のところに持って行きます。弓削田は数日間考えたようですが、7月26日(推定)に掲載不能を啄木に告げます。そしてこの26日夜から中断していた作歌を再開します。その26日夜に作った歌の1つが「はたらけど」です。その次ぎに記されている歌は「耳かけばいと心地よし耳をかくクロポトキンの書をよみつつ」です(「クロポトキンの書」はクロポトキン著幸徳秋水訳『麵麭の略取』)。合計10首作ります。翌27日も5首作ります。その中の1首に「赤紙の表紙手ずれし国禁の書よみふけり秋の夜を寝ず」があります。この「国禁の書」こそ、当時の国家権力から見て最悪の書すなわち幸徳秋水著『平民主義』です。その後8月3日-4日にも24首作ります。この頃つくる歌には大逆事件の影をおとしている作品が目立ちます。

8月29日(推定)、啄木は「時代閉塞の現状」を書き始めます。秋水が『平民主義』に描いた閉塞状況へ批判と闘いを受け継ぎ、強権すなわち国家権力との闘いを呼びかけるのです(詳しい読みは小著『『一握の砂』の研究』第Ⅱ部第三章)。

掲出歌はこうした啄木の、8月8日の作品なのです。まだ必要なもろもろの論証を省いて結論に行きます。だれの「行末」を指すのか? 大逆事件の被告たちの(分けても幸徳秋水の)行く末です。どんな「行末」を見ているのか? 秋水死刑を含む苛酷な判決が待つ被告たちの行く末です。

<解釈>大逆事件の被告たちの前途には秋水死刑を含む苛酷な判決が待っているようだ。何もかも行く末の事が見える気のするこのかなしみは、ああどうしても拭い去ることができない。

52、53ページの見開き4首には「見えすぎるかなしみ」というモチーフを読み取ることができます。

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