« はたらけど | トップページ | 何もかも行末の事みゆるごとき その2 »

2010年1月 2日 (土)

何もかも行末の事みゆるごとき  その1

     

     何もかも行末の事みゆるごとき

     このかなしみは

     拭ひあへずも

<ルビ>拭ひ=ぬぐひ。

<語意>あへず=しきれない。も=(詠嘆の係助詞)~ことだ。

作歌は1910年(明43)8月8日昼。初出は同年8月31日の東京毎日新聞。2~4句は「行末のこと見ゆる如きこの悲しみは」。

さて、1行目の解釈です。これが分かりにくい。

まず「行末」 。

1、だれの「行末」? 自分の、他人の、日本の、人類の、などいろいろ考えられます。

2、「だれの?」に次いで、「どんな?」が待ちかまえています。

代表的な4氏の解釈を紹介します。

今井泰子-「行末」は作者自身の行末。変わるはずのない自分の力、自分の性格、楽になるはずない自分の生活という大前提を置いている。どのような夢も希望も真実のところは嘘であると思わざるをえない者の深い悲しみの歌。

岩城之徳-苦しい現実のもとでは、おそらく変わることのないであろう自己の「行末」。

上田博-漠然として、しかし確かに感じる「かなしみ」。この内面に感じられる「かなしみ」こそが自分の「行末の事」の予兆である。

木股知史-現在の延長線上に確実に予測される未来のイメージには、救いがない。現在のみならず将来まで運命に支配されてしまっていることが悲哀のもとなのである。

わたくしはどなたともちがう解釈になります。あとは次回に回します。

« はたらけど | トップページ | 何もかも行末の事みゆるごとき その2 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/533861/47184767

この記事へのトラックバック一覧です: 何もかも行末の事みゆるごとき  その1:

« はたらけど | トップページ | 何もかも行末の事みゆるごとき その2 »