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2010年2月16日 (火)

死にたくてならぬ時あり

     

     死にたくてならぬ時あり

     はばかりに人目を避けて

     怖き顔する

<語意>はばかり=便所。

初出『一握の砂』。したがって、作歌は1910年10月4日~16日。これまで何度も書いていますが、歌集初出の歌の非常に多くはそれまでの全日記を読み返す中で作っています。この歌もその中の1首でしょう。

「死のうか、死のうか」と思い詰めて行くのではなく、「死にたくてならぬ」方へと思いが煮詰まって行ったのが「死にたくてならぬ時」でしょう。

「死のうか」の出発点は生きているのがつらい、でしょう。「死にたくてならぬ」の出発点は生きているのがいやになった、でしょう。

啄木の「自殺」についてはこのブログでももう何度も書いていますが、おさらいをしておきます。

1902年(明35)12月~03年2月。最初の上京の挫折時(最後の頃は真冬にホームレスにまでなった)。

1907年(明40)5月4日夜、北海道に渡る連絡船上で(故郷喪失が悲しくて)。

1908年(明41)6月下旬~7月下旬(下宿追放の恐怖の中で)。

1909年(明42)4月~6月中旬のローマ字日記の時期(小説が書けなくて)。

このうち、生きているのがいやになった、のはローマ字日記の時期です。次に引くのは啄木の詩論「弓町より(四)」(09年12月)の一節で、「森川町の下宿屋」はローマ字日記を書いていた蓋平館。つまり一節の内容はローマ字日記の時期のことです。

自分で自分を自殺し得る男とはどうしても信じかね乍ら、若し万一死ぬ事が出来たなら……といふ様な事を考へて、あの森川町の下宿屋の一室で、友人の剃刀(かみそり)を持つて来て夜半潜(ひそ)かに幾度(いくたび)となく胸にあてて見た……やうな日が二月(つき)も三月も続いた。

部屋で剃刀を胸に当てて見ても、自分自身をあまりに愛している啄木は、自殺などできせん。そこで剃刀を持って便所に行き「オレは本気だぞ」と怖い顔をして剃刀を胸に当ててみた。そんな一人芝居をした事もあったでしょう。

掲出歌は深刻でもありますがユーモラスでもあります。ローマ字日記が、深刻きわまりない苦悩と極限に挑戦する強靱な精神とをあわせもつのに、照応しています。啄木は常にもう一人の自分を冴えわたる目で見ています。

<解釈>小説が書けなくてこの世がいやになり、剃刀で心臓を割いて死にたいと思うが、そんなことはどうしてもできない。そこで人に見られないように便所に隠れ、剃刀を胸に当てて「オレは本気だぞ」と怖い顔をしてみたこともあった。

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コメント

 近藤先生
 日々の変わらぬご研鑽に敬意を表します。最近は一日の終わりに先生のブログを拝見し、それからヤフーで将棋を指してから、(僕は実力初段です)寝る日が多いです。今日の「死ぬこと~]に触発されて過去の2首を思い出しました。
 「弱き心捨てよと硬き顔つくれり 都さす汽車今発たんとす」(札幌赴任後に札幌駅頭で)
 「父死せしか瞬時貫く想いあり 常ならぬ声受話器に響けり」(安宅産業独身寮同室の慶応の友より、早稲田同窓会の忘年会場の飲み屋に緊急の知らせあり)

毎夜わが拙いブログをのぞいていただいているとのこと、感激しております。コメントありがたくうれしく拝読しました。旧作の短歌2首硬質の佳作と存じます。安達さんが折りに触れ時に応じて短歌を作られること今しっかりと認識しました。お作さらに読ませていただきたく存じます。誰にも見せた事のない旧作を1首ご笑覧に供します。
宅地化のなされんとする桑畑につがいの雉子のかくるるを見き
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