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2010年5月26日 (水)

気ぬけして廊下に立ちぬ

     気ぬけして廊下に立ちぬ

     あららかに扉を推せしに

     すぐ開きしかば

<ルビ>扉=ドア。推せ=おせ。

<ことば>推す=おして向こうへ進むようにする(押す=おしつける。おさえる)<『角川 新字源』の同訓異義より>。

初出『一握の砂』。したがって作歌は1910年(明43)10月4日~16日。

「扉」がドア式である。喜之床の2階つまり今借りている部屋の出入口はドア式ではあるまい。ドア式で若い男が「あららかに」推さないと開かないような出入口では老母や4歳未満の京子は生活できないだろうから。職場東京朝日新聞社の日常使う編集室のドアがそんなに固いはずはなかろう。偉い記者たちもたくさん出入りするのである。ガタピシドアであるとは思えない。

この「扉」=ドアのある部屋は、節子が出産のために入っている東大病院の病室であろうと思われる。

それだとドアの調子が今一つ分からなくても不自然ではない。おそらく入室するとき、ドアが固かったのではなかろうか。でなければ前回出るときに固かったか。

<訳>気抜けして病院の廊下に立ってしまった。このドアは固いと思い込んで、体重をかけて荒っぽく推したところ、すっと開いてしまったので。

山本健吉はこう評している。

「かうしては」「気ぬけして」の二首は、姉妹作品と呼んでもよかろう。何か焦燥の気持と、それを平静さへ引きもどすような間の抜けた出来事とが、一つのアイロニーをかもし出す。

たしかに2つの歌は間の抜けた心の寸劇のよう。

固いと思って思いっきり力を入れたら、すっと開いたジャムのふた、など拍子抜けは日常よくある一人芝居の形。

今日は気が変わって文体を変えました。しばらくこうするかも知れません。

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