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2010年5月14日 (金)

たんたらたらたんたらたらと

     たんたらたらたんたらたらと

     雨滴が

     痛むあたまにひびくかなしさ

<ルビ>雨滴=あまだれ。

作歌1910年(明43)10月13日夜。初出「精神修養」同年12月号。

井上ひさしさんの芝居「泣き虫なまいき石川啄木」の初演(86年6月)のビデオを観ていて強く印象に残ったことがありました。名歌・秀歌ひしめく啄木歌集の中から井上さんがこの脚本でつかった1首が、掲出歌でした。金田一京助役の高橋長英さんがセリフの中でこの歌を実にうまく詠みました。それを聴きながら私は、それにしても井上さんはどうして選りに選ってこの歌をとりあげたのだろうと思いました。その疑問は今日まで20年以上持ち越してきました。この度はその疑問に決着をつけたいものです。

まず当の金田一京助(役)のセリフを引きます。話の相手は石川啄木(役)です。

(珍しく話を遮つて)石川くんの去年十二月に出た歌集「一握の砂」は、これまでの短歌の型式をもののみごとに打ち毀してしまつたぢやないですか。どの頁でもいいから開いてごらんなさい。「たんたらたらたんたらたらと/雨滴が/痛むあたまにひびくかなしさ」。五句三十一韻律を、あなたは三句の三十二音にしてしまつた。しかも日常語や俗語ばかりでせう。さらに三行の分ち書きでせう。千何百年来の和歌短歌の伝統はもう滅茶苦茶です。それでいて、たんたらたらたんたらたらと、雨滴が(ここから短歌らしく詠んで)痛むあたまにひびくかなしさ、とくると途端に短歌らしくなる。なんだか手品をみてゐるやうな気分です。

みごとな啄木短歌論です。

この続きは明日書きます。明日までにちょっとお考えください。「たんたらたら」は擬音語だと思いますか。もし擬音語であるなら「たらたら」とは雨滴(あまだれ)のどういう音でしょう。なんだか啄木はすごいことをやっているような気がしてきます。

今日は5月15日。上を続けます。

「たん」はまちがいなく擬音語です。ざあざあ降りの雨ではなくしとしと降る雨の日、どこをどう伝って来たのか雨垂れが同じ箇所(トタン屋根?)に落ちるようです、たん! これが頭痛の響きます。

「たらたら」は擬音語ではなく擬態語でしょう。したがって啄木には見えていません。が、また「たん」がくるな、と思います。雨垂れの場所に向かって伝うわずかな雨水を想像します。これが「たらたら」でしょう。その途端に、たん! あ、痛っ!

したがって「たらたら」は「たん!・・・・・・たん!・・・・・・・」の「・・・・・・」、すなわち断続する時間を文字で表したのだと思われます。奇想天外の技巧です。故井上ひさしさん(啄木短歌の最高の読み手)はこの「手品」を半分感じ取っていたのだと思います。(この解釈、井上さんに聞いていただきたかったです。)

<解釈>たん!・・・・・・たん!・・・・・・と断続して落ちる雨垂れが、その度に頭痛のあたまに響く。家にこもっているしかないので、雨垂れが増幅する頭痛から逃れようもないでいるこの切なさ。

60、61ページのモチーフは、3首目を「転」と考えて、「家にこもる」です。

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