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2010年6月 8日 (火)

うすみどり

     

     うすみどり

     飲めば身体が水のごと透きとほるてふ

     薬はなきか

<語意>てふ=という(読み方は、ちょう)。

初出は「スバル」1910年(明43)11月号。したがって作歌は同年10月4日~16日。

上田博氏は「透明人間願望の歌である。イギリスの田舎町の物理教師が薬品によって変身する話、H・G・ウェルズのSF小説『透明人間』がすでに一八九七年(明30)に現われ、世界中の人びとに異常な空想を与えていたことを、歌意の理会のために想起しておいてよい」と指摘しています。

まだ邦訳されてはいないまでも、透明な人間の物語がイギリスで読まれている、くらいのことを啄木は耳にしていたかも知れません。

木股知史氏はつぎのように書います。「透明になることは、<見られる自己>を消滅させるという願いを意味している。前歌(64p右の歌)では、他者との関係を求めながら、この歌では、他者のまなざしからの自由を希求している。『うすみどり』と『透きとほる』が呼応して、空想にふさわしい軽く明るいイメージを作っている」と。

<解釈>うすみどりで、それを飲むと身体が水のように透きとおるという薬はないものか。あればしばしの間透明人間を楽しめるのだが。

この歌と前の歌とは、木股氏の言われるような関係にあると同時に、自分の現状からの変化の顧望という点では、通底の関係にあります。

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