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2010年6月24日 (木)

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ  その2

     友がみなわれよりえらく見ゆる日よ  その2

逆転の発想が必要です。従来は、友がみな自分よりすぐれて見えるから、啄木が落ちこんだと解釈してきました。逆です。啄木が落ち込んだので、友が自分よりすぐれて見えるのです。

「えらい」の意味も立身出世は関係なく、〈りっぱだ〉という一般的な意味です。

どうして落ち込んだのか。大きく2つ考えられます。

1、歌集「仕事の後」の売り込みに失敗した(明43年4月)、今度こそと自信をもって執筆した小説「我等の一団と彼」もまた失敗に終わった(同年9月)、「所謂今度の事」がボツになった、「時代閉塞の現状」も掲載不可だったなど。
2、大逆事件への人並みはずれた関心、たった一人の韓国併合批判など、あまりに先んじた時代認識に自分が異端で「友はみな」正統、のような倒錯した気持ちになった、など。

「どんよりと その2」でも書きましたが、作歌の10月13日とは次のような日です。
10月4日から12日までの間に240首もの秀歌を作ってきれいに編集し『一握の砂』はほぼできあがっていたはずなのに、啄木は13日になってまたしても26首も作り『一握の砂』の原稿を再編集します。「我を愛する歌」には明治41、42年の歌が多く、43年の歌の比重が比較的大小さいので、43年10月現在作の比重を大きくしようとしたのです。掲出歌はそのうちの1首です。

9月上旬に「時代閉塞の現状」を書き上げた啄木は、間もなく朝日歌壇の選者にもなり、今『一握の砂』完成の直前にいます。10月13日は啄木の文学上・思想上の絶頂期です。

歌の内容が作歌時に近接していれば2の公算が大きく、離れているほど1の公算が大きいでしょう。

1首の解釈のためにどちらかにしぼりこむ必要はないでしょう。啄木にも落ち込んで友達がみんな自分よりも立派に見える日があった、それが分かればいいことです

<解釈>(ひどく落ち込んでいるので)普通に生活している友がみなかえって立派に見える日よ。(そういう日は友とは一緒にいたくないし会いたくもない。)花を買い求めて家に帰り、妻と花を愛でて睦まじく過ごすのだ。

この歌のようなことは年齢性別時代等を問わず誰もが経験していることと思われます。

予備校に入って来年の晴れの志望校合格を目指して横一線に並んだはずの友。最初の模擬試験で自分は惨憺たる成績。がっくり来た途端に「友がみなわれよりえらく見」える。友を避けて家に帰る。母と顔を合わせるのもつらい。そこで近所の少年のキャッチボールの相手をする、とか。

突然リストラされた人にとっては、リストラされない同僚(=友)がみな突然「えらく」見えるでしょう。同僚のだれとも顔をあわせたくない。家に帰って妻になんと言おう。とりあえずケーキを買って帰ると幼子が腕の中に飛び込んできた。抱きしめてそれからケーキを食べさせて……

66ページの2首は、環境変化に救いを試みる心、をうたっています。

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コメント

「啄木が落ち込んだので、友が自分よりすぐれて見えるのです。」という解釈が、すとんと腑に落ちました。
「見ゆる日よ」の「よ」の詠嘆の余韻が、そう考える事でより一層心に響いてまいります。
「友」「花」「妻」と三行の行頭を二音の漢字で揃えて、それ以外は一音の漢字以外はひらがなにして、音調的にも、視覚的にも(2、3行末の余白も含めて)余韻のある作品と思いました。
「一つだけの花」「ただ一人の妻」のかけがえなさも思われました。

ナキウサギさま すてきな的確なコメントありがとうございました。言々句々みな参考になります。あらためてこの名歌を鑑賞し直しております。

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