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2010年7月 9日 (金)

夜明けまであそびてくらす場所が欲し

     

     夜明けまであそびてくらす場所が欲し

     家をおもへば

     こころ冷たし

作歌1910年(明43)10月13日夜。初出「精神修養」同年12月号。

68ページの2首は分かりやすいようでむずかしい。この2首に表れているような家庭の情況は作歌時に近い時期のこととは考えられない。10月4日から20日の間に書いた手紙が8通残っているが、作者と家庭の間にこのような関係を暗示するものは皆無である。10月4日大学病院産婦人科分室で妻が長男真一を出産。この日以後啄木の超人的に精力的な生活が始まる。11日には妻が退院してきたらしい。20日頃節子と真一の健康にかげりが出はじめるが啄木自身の忙しさは壮絶。

歌は作歌時よりもずっと前の時期の自分をうたったものと考えられる。10月13日、「我を愛する歌」の章における明治43年作歌の比重を増すために啄木は26首も新作し、章の補充をしたことはすでに述べた(どんよりと その2)。この際にも啄木は作歌のヒントを得るために日記を読み返している。この13日作の2首目に

神のごと遠く姿をあらはせる阿寒の山の雪のあけぼの

があるがこれは釧路時代の日記をヒントにした歌であると推定される。

10月13日夜の歌によまれた啄木の「心の姿」は当時の姿ばかりではなく、08年、09年のかれをうたったものもある。したがって掲出歌にうたわれた「心の姿」もいつ頃のものかを考えてみなければならない。

普通啄木が家=家庭のことで最も悩んだのは母と妻の確執とされる。1909年(明42)7月9日に宮崎郁雨にあてて書いた手紙にこんな箇所がある。
 
 それで僕の仕事の方はどうかと言ふと
、(小説が-引用者)書けぬ。毎晩書かう書かうと思つてるが書けぬ。下宿になれぬせいだらう。京子には手こずつてる。そしてそれ、御存知の通り感情の融和のちつとも無い家庭なんだからね。一昨晩だつたか、母と妻に散々小言を言つて見たが、それでも不愉快が消えツこはない。十時頃フイと飛出したが、浅草に行くにしても宿屋へとまるにしても金がない。こんな時金のないのが一番癪に障るよ。そして回数券だけはあるから一時間半許りアテなしに電車に乗つて方々廻つて歩いた。しまひに日比谷公園へ行つて、雨の降る真暗な中で小便して来た。

「金」を「場所」と置き換えると、まるで掲出歌の解説である。こころが冷たくなるような家とは、やはり母と妻の確執が始末に負えなくなった時の家、ととってよいであろう。

<訳>(母と妻の確執はもう手に負えない。)家に帰らずに夜明けまで遊んで暮らす場所が欲しい。家に帰ることを考えると、心が冷たくなる。

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