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2010年7月13日 (火)

人みなが家を持つてふかなしみよ  その1

     

     人みなが家を持つてふかなしみよ

     墓に入るごとく

     かへりて眠る

<ことば>てふ=という(読み方は、ちょう)。

作歌1910年(明43)10月13日夜。初出「精神修養」同年12月号。

この歌は前歌を受けていると考えられる。「夜明けまであそびてくらす場所」=「金」が無いので家に帰るしかない、とうたうのである。

1行目がむずかしい。人みなが家庭を持つ、これは制度である。この制度の下で苦しむのは旧民法時代の日本で広く見られた現象であるが、幸福な家庭もあったはずである。「人みなが家を持つ」ことが即「かなしみ」なのではない。「人みなが家を持つ」という制度なので自分も家庭を持っているのだが、そのために自分の場合には「かなしみ」が生じているというのである。

どうしてどんな悲しみが生じているのだろうか。やはり前歌と同様母と妻の確執であろう。せめて「金」→「夜明けまであそびてくらす場所」があれば帰らないこともできる。金がないので帰るしかない。

<訳>人がみな家庭を持つという制度から生ずるこの悲しみよ。家に帰りたくない。せめて「夜明けまであそびてくらす場所」にゆく金があれば帰らないこともできる。しかし金がないから帰るしかない。思うだけで心が冷たくなる家に、墓に入るような気持ちで帰って、蒲団に潜り込むのだ。

啄木の家庭がいつも前歌やこの歌のようであったとしたら、地獄であろう。啄木の心の姿が千変万化であるように、啄木の家庭の姿も千変万化であったということであろう。母と妻の確執がすごかっただけにこの両歌のような日もあったということであろう。

「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ/花を買ひ来て/妻としたしむ」という日もあった。ひょっとすると掲出歌の「家」には妻も子もいなかったかもしれない。母1人しか待っていない「家」だったかも知れない。妻の家出という啄木にとっての大事件が『一握の砂』で全くうたわれていないのも不自然である。そう考えると68ページの2首は妻の家出をめぐる歌ということになりうる。

以下次回。

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コメント

とても興味深く、また新鮮な思いで拝見しております。特に、「韓国併合批判の歌」は圧巻で、啄木のすごさを改めて知りました。
折しも今年は「韓国併合100年」ということで、さまざまな視点からのとりくみが全国で行われています。私どもも何か企画をと考えているところですが、もし、可能であるならば、「韓国併合批判の歌」をテーマにご講演いただけないものかと思います。
連絡先がわからないので、このようなコメント欄に書き込みをしてしまいました。失礼をお詫びするとともに、ご検討をお願いする次第です。

佐々木寛治様
「韓国併合批判の歌」をテーマにした講演への、ご要請よろこんでお引き受けいたします。啄木の偉業を知ってもらう立派な機会を与えていただけそうでうれしいです。連絡先は、kondon@nifty.com
または電話、046-254-8454 近藤典彦です。

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