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2010年7月17日 (土)

人みなが家を持つてふかなしみよ  その2

     

     人みなが家を持つてふかなしみよ  その2

参考までに家出と関連させて、この歌を読んでみよう。

前歌の評釈で郁雨あての手紙を引いたが、母と妻子が郁雨に付き添われて上京したのは、この手紙を書いた時から約3週間前にさかのぼった6月16日であった。函館での姑と嫁と京子の3人暮らしの約1年間は2人の間を険悪にした。節子の心は啄木を離れ、郁雨に傾いた。そのことも嫁姑の確執の原因の1つになったのではないかと、推測される。2人の上京・同居後啄木は確執をあつかいかねて、母と妻の双方をとがめた。心が啄木から離れていた節子は、10月2日家出して盛岡の実家に戻った。実家では郁雨と10月26日に結婚する予定の妹ふき子がその日を待っていた。

妻家出の日の啄木の様子を金田一京助はこう記す(『石川啄木』〈文教閣、1934年〉209~212ページ)。

 『かかあに逃げられあんした』と頭を掻いて、坐ったなり、惘然(ぼうぜん)として、すぐには、あとの口を利かなかった……やがて君が、重い口調で、しみじみと始めて母堂と(妻と)の不和のいきさつを詳しく話し、『あれ無しには、私は迚(とて)も生きられない』と自白し、焦燥と悲歎と懊悩(あうなう)を搗(つ)き交ぜて……

自分のもとに戻ってくるよう、妻宛に手紙を書いてくださいと金田一に懇請した。妻の返事が来るまでの啄木の懊悩は大変だった。金田一は記す。
 
 何でも、食べ物も咽を通らず、食べなくっても腹も空かず、……夜中になって、迚
(とて)もやり切れなくなっては、『お母さん酒だ、酒が無いか』と怒鳴ると、おどおどして腰の曲ったおっ母さんが、起きて危い、真暗な、急な梯子を降りて、……通りの酒屋を……叩き起して、何れ、泣くようにして頼んで、貧乏徳利を下げて帰ると、石川君はそれを、冷のままで、飲めもしないのに、がぶがぶあおって、酔の上で『おっ母さんが追ん出したも同じだから、おっ母さんが連れてお出で』などと、駄々を捏ねて泣かせ、おっ母さんの泣き声を聞いて吾に返っては又がぶがぶあおる。
 
 十月七日にまた、葉書で私へ、『……帰るでせうか。帰らぬでせうか。私には新しき無言の日が初まりました。私はこの、一寸のひまもなく冷たい壁に向かつてゐるやうな心持に堪へられません。然しこの心持をそらすやうないかなる方法もとりたくありません。誰とも話はしたくないが、あなたには逢ひたい』とあった……

この日頃なら勤めに出ている毎日が「墓に入るごとく/かへりて眠る」日々だったであろう。そうすると前歌もこれに関連させて読むことができるというわけである。

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コメント

近藤先生
いつもありがとうございます。
金田一京助の描く啄木の姿が印象的でした。私は啄木の事は歌以外には殆ど知りません。知りたいという興味がどんどん深まっていきます。
この歌からは、「啄木は疲れているんだなぁ」と感じました。
日々の勤めの帰するところの家と、人生の帰する所の墓。
疲れ切ってとぼとぼと家路をたどった夕暮れの風景が誰にでも思い出のひとこまとしてあるように思います。
「かなしさ」ではなく「かなしみ」としたことで、い段音の持つ沈んだ感じもあって、より深い「悲」を感じます。「悲の器」としての人ということを考えていたら、子供の頃読んだ新美南吉「でんでんむしのかなしみ」「わたしのせなかの からのなかには、かなしみが いっぱい つまっている・・・」を思い出しました。

ナキウサギ様 
金田一京助『石川啄木』は啄木が目の当たりにできる傑作です。お時間がありましたらぜひお読み下さい。ご購読なさるのでしたら、ネット「日本の古本屋」→「古書検索」→書名「石川啄木」・著者「金田一京助」で適当な本に出会えます。ただし金田一のいう「啄木最後の思想的転回」は多くの偉大な人たちまで欺いた全くの妄説です。
「日々の勤めの帰するところの家と、人生の帰する所の墓」「い段音の持つ沈んだ感じ」などとても参考になります。コメントありがとうございました。

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