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2010年8月16日 (月)

顔あかめ怒りしことが  その1

     

     顔あかめ怒りしことが

     あくる日は

     さほどにもなきをさびしがるかな

<ルビ>怒り=いかり。

<語意>さほどにもなきを=それほどでもないのを。

作歌は1910年(明43)9月9日夜。初出は東京朝日新聞同年10月19日。

啄木が顔を赤くして怒った、誰に向かって? これが分からなければこの歌の解釈は始まらない。さしあたり考えられるのは、妻・子・父・母、家主一家や職場のだれかれ、はては強権の横暴、まで結局怒りの対象は無数の対象が浮かんでしまう。

そこで見開き4首全体を見渡してみよう。3首目は妻のことらしい。そうすると4首目の「日の本の女等」の中に妻も入りそう。つまり左ページ2首は妻がらみと考え得る。右ページ2首も妻がらみと考えられないか。さんざん悩んだ末、こう考えてみた。

どうやら、正解のようである。この見開き4首は妻がらみの4首であると考えると整合的に解釈できるから。

では、啄木は妻の節子に対して顔を赤くして怒るような夫だったのか、が問題になる。節子は文字通りの恋女房であるから、啄木とはいい夫婦だった。啄木は時に花を買ってきて妻と仲良く楽しんだり、真夜中に起きだして妻に「書いたつて発表する事が出来ない」悩みを打ち明けたり、いつか出そうとする本のこと表紙の事などを話してみたりしている。明治の夫婦としてはずいぶんいい感じである(ただし夫婦の関係だから後述のようにある時期深い齟齬も生じるけれど)。

夫婦喧嘩ももちろんした。こんな文章がある。「弓町より」という詩論の一節である(1909年12月稿)。「其時、恰度夫婦喧嘩をして妻に負けた夫が、理由もなく子供を叱つたり虐めたりするやうな一種の快感を、私は勝手気儘に短歌といふ一つの詩形を虐使する事に発見した。」

これを読むと啄木が負ける喧嘩もあったようだ。09年10月の節子の家出は節子の完勝と言えそうだが、その後はいろいろあったようで、啄木は節子が堀合家系の親戚と付き合うことをひどく嫌い、妨げた。親戚と図ってまた家出をするかと極度に警戒したようである。だから節子の従兄弟が遊びに来て、今度の正月ご馳走しようなどと言い、節子が「ではぜひ行きます」と答えたら、後で啄木は「大おこり」だった、という(09年12月20日節子の宮崎ふき宛書簡)。

こんな事情を考えると「顔あかめ怒りしこと」もありえたとおもわれる。

以下次回。

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