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2010年8月 8日 (日)

放たれし女のごときかなしみを  その2

     

     放たれし女のごときかなしみを  その2

「放たれし女」は意識だけが既成の境遇の中で目ざめたのである。変わらぬ境遇の中で変わってしまった意識はあてどのないまま孤独感にさらされるしかない。これが「かなしみ」であろう。

「よわき男」=啄木はどういう時にそれに似た「かなしみ」を感じたのであろう。

大逆事件の被告たち特に幸徳秋水への共鳴・共感、帯剣政治家の圧制への反抗の念、韓国を亡ぼして浮かれる日本人への批判等、時代閉塞の現状にあって一人時代の最先端に立ってしまい、しかも現状に指一本させぬ自分。

この自分を「よわき男」と言ったのであろう。

<訳>既成の境遇の中で自由に目ざめた女の意識が、あてどのないまま孤独感にさらされているようなかなしみを、一人時代の最先端に立ちながら時代閉塞の現状に指一本させぬ自分もまた感じる日である。
    
別の解釈も可能である。

この歌は10月13日夜の歌となっていることはすでに述べた。その歌稿の終わりの方につぎの4首が並んでいる。
 夜あけまであそびてくらす場所がほし家を思へばこゝろつめたし
 人みなが家を持つてふかなしみよ墓に入るごとくかへりて眠る
 放たれし女のごときかなしみをよわき男の感ずる日なり
 はても見えぬ真直の街をあゆむごとき心をけふも持ちえたるかな
「夜あけまで」「人みなが家を」の2首は妻の家出と関連づけて解釈することも可能であった。3首目つまり掲出歌はこの関連で読むことも可能である。

妻が本当にわが手わが家から「放たれ」てしまい、「かかあに逃げられ」た啄木は「よわき男」として「放たれし女のごときかなしみを……感」じていると言う解釈である。

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