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2010年9月12日 (日)

わが抱く思想はすべて  その2

     わが抱く思想はすべて  その2

ところでわたくしのHPに載せた小論「石川啄木の韓国併合批判の歌 五首」に書いたが、掲出歌は4つ目の歌群(小論ではD歌群)に属する。この歌群のテーマは「大逆事件と時代閉塞の現状」批判なのであった。啄木が大逆事件発覚を契機に思想上の大飛躍を遂げたのは周知のことである。

この点で今井氏が評論「時代閉塞の現状」と結びつけてこの歌を解釈しようとしたのは卓見である。しかし「『時代閉塞の現状』に展開されたような思想」と言われるのであれば、展開の大本になった「思想」があるはずである。大本の「思想」がたくさんあろうとは思われない。また同じアポリアに陥る。

4、5日間の苦悶の末、目からウロコが落ちた。①系で解釈すれば良かったのである。「思想」とは「考え」あるいは「意見」の意なのである。

「わが抱く思想はすべて」は「大逆事件や時代閉塞の現状等に対して私がこの日ごろ抱いているさまざまな意見はすべて」の意だったのである。

「金なきに因する」はわが石川家の貧しさに原因する、の意。この句の解釈がまたむずかしい。

啄木イコール貧乏の公式が全日本人の頭の中に確立しているので、作歌当時も低収入と思ってしまうがそれは違う。しかしそれは正確ではない。このことをきちんと論じようとすれば『全集』⑥-226~227および⑦-316~320から大量に引かねばならぬ。さらに、美土路昌一の証言もある(太田愛人1996,p38)。それらの作業はここでは割愛する。

少し触れておけば、収入は決して少ないとは言えなかった。「明治四十四年当用日記補遺」(『全集』⑥-226~227)から啄木の語るところを引いておこう。

(収入は必ずしも)「少からざりしも、猶且前年来の疲弊及び不時の事によりて窮乏容易に緩和せざりき。」(ちなみに1910年(明43)12月ひと月の収入総額は165円65銭である。これは貧乏と言うには大きすぎる額である。しかし年末の)「残額僅かに一円二十一銭に過ぎず。不時の事のための借金及び下宿屋(蓋平館)の旧債、医薬料等の為にかくの如し。猶次年度に於て返済を要する負債は協信会の四十円及び蓋平館に対する旧債百円余也。」

同年12月30日宮崎郁雨宛書簡から少しだけ引くと、「生活の不安は僕には既に恐怖になつた、若しかうしてゐて老人でも不意に死んだらどうして葬式を出さう、そんな事を考へて眠られない事すらある……」

収入があっても貧しいのは、一家(3人ではなく)5人の生活費、家族の病気(病院代・薬代)、長男の出産・病院・葬式代、蓋平館の借金返済等々のせいである。

そして啄木は「金なき」ことを「考へて眠られない事すらあ」ったのだ。

こうしたことから逆算してゆくと「金なきに因する」と思われる意見=「思想」はたくさん考えられる。

<解釈>
私が抱く日本の社会制度、経済制度、政治制度等に関するもろもろの見解はすべて金のないことに原因するようだ。(家の内は相変わらずの貧乏。戸外には私に多くのことを考えさせる明治43年の)秋の風が吹いている。

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