« わが抱く思想はすべて  その2 | トップページ | 秋の風  その1 »

2010年9月17日 (金)

くだらない小説を書きてよろこべる

     くだらない小説を書きてよろこべる

     男憐れなり

     初秋の風

<ルビ>憐れ=あはれ。

作歌は1910年(明43)9月9日夜。初出「創作」同年10月号。

「くだらない小説」は「男とうまれ男と交り」でふれた「我等の一団と彼」。この小説を高く評価する人は多い。例として加藤周一と井上ひさしの評価を引こう。

先ず加藤周一『日本文学史序説 下』より。
 歌人としての啄木のこの面(時代の状況に対する「宣戦」の態度-引用者)は、社会主義的な社会を遠い将来に期待しながら新聞記者生活をしている仲間外れの男を主人公とした小説、『我等の一団と彼』にもつながる。その主人公は、さしあたり革命の条件が日本社会にないことを見破るほどに聡明で、みずから「利己的な怠け者」と称している。しかし他方では、毎日発生する事件のなかに一種の関連をみとめ、その方向が社会体制の変革の方へ向っていることに、自己の立場の正しさの証拠を見ている。そういう皮肉で辛辣な男は、当時の小説の主人公としては他に例がなく、そういう人物を主人公としては活活と描きだしたことは、啄木の小説家としての独創性である。

次は井上ひさし「前口上」「季刊the座」第7号(1986年6月)より。
 「啄木の歌はいいが、小説は下手、まるでなってない」などと訳知り顔でいう連中がおりますが、よく読まないからそういう脳天気なことが云えるので、この作品
(「我等の一団と彼」-引用者)などは啄木が小説を書く才能にも大いに恵まれていたことを立証する第一級の証拠でしょう。

しかし啄木自身は前記でふれたような事情で当面中断することにした。啄木の思想と社会認識の歩みが小説の最初の構想はおろかその後の訂正・変更をも次々に乗り越えてゆき、ついには、「時代閉塞の現状」を書き上げた啄木から見るとその原稿のままでは「くだらない小説」となってしまったらしい。構想をあらためて書き直せば文学史上に輝く傑作になったと思われるが、啄木の人生にその時間は残されていなかった。(啄木は1910年12月30日宮崎郁雨宛書簡で「売るべく書きかけてある原稿もある」と書いているがこれはまちがいなく「我等の一団と彼」である。)

<解釈>大逆事件・韓国併合という歴史的事件の渦中で「時代閉塞の現状」を書き上げたばかりの私の目から見ると、書きかけの「我等の一団と彼」はくだらない小説だ。こんなものを書いてよろこんでいる私はみじめというほかない。みじめさを際立たせるかのように、快い初秋の風が吹いている。

« わが抱く思想はすべて  その2 | トップページ | 秋の風  その1 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/533861/49473825

この記事へのトラックバック一覧です: くだらない小説を書きてよろこべる:

« わが抱く思想はすべて  その2 | トップページ | 秋の風  その1 »