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2010年9月 3日 (金)

ふがひなき

     

     ふがひなき

     わが日の本の女等を

     秋雨の夜にののしりしかな

<ルビ>秋雨=あきさめ。
<語意>日の本=日本。
これも作歌は1910年(明43)9月9日夜。初出「創作」同年10月号。
啄木が日本の女等を不甲斐ないという時、まずどんな点を念頭においているのか、これを見る必要がある。

この年9月号の「ムラサキ」に啄木は「知己の娘」という小文を載せている。知人が田舎から上京してきて、啄木に相談する。娘をどこの学校に入れるとよいのか、と。当の娘は目指す大学も、大学に進みたい理由も、なにか特別の才能もない。「つまりたゞ東京の大学に入りた」いだけなのである。啄木は絶望的な筆致で書く。
   女!女!私は今日の女の状態について考へる毎に、何が無しに周囲が見る見る暗くなつて行くやうな気がする。

この文章を書いたのは8月中旬か下旬と思われるが、その前の6月半ばに啄木は幸徳秋水の『平民主義』を読んでいる。啄木がその生涯でもっとも影響を受けた本のうちの1冊である。その中の「婦人と政治」という1文で秋水は要旨次のような論陣を張る。

<日露戦争が始まると、急にみんなが婦人たちも国家のために尽くせと言い始めた。しかしこれまでの日本社会は婦人を政治から完全に排除してきたではないか。政談演説を聴くことさえも禁じているではないか。その結果婦人たちもまた政治に完全に無関心である。男が女に、政治に関わるなと言えば「はい」と従い、今度は国家のために尽くせと言えばまた「はい」と従う。日本の婦人はまさに「茫(ぼう)々昏(こん)々として命是従ふのみ」である。それではいけない。国家とは何か、政治とは何か、婦人の権利利益とは何か、等を考えて為すべきことがあろう。欧米では多数の婦人が婦人参政権を要求してすでに立ち上がっている。参政権を獲得した国もある。われわれは日本の婦人たちが政治の戦場に進出し、奪われた権利・踏みにじられた利益を回復して日本社会の一勢力とならんことを望む。>

秋水がこれを書いたのは1904年(明37)5月、それから6年後、秋水は獄中にあり、世の女性たちは秋水にも秋水の呼びかけにも大逆事件にも全く無関心。「我が日の本の女等」の現状はまさに「知己の娘」のレベルだ。

啄木が「秋雨の夜にののし」ったのはこの現状だったと思われる。節子も「我が日の本の女等」の1人と啄木は見ているのであろう。たしかに当時の節子は啄木の思想上の巨歩にまったくついて行けないまま、日常生活に埋没している。

<解釈>欧米の女性たちとくらべると政治意識・権利意識が無惨に低く、男どもの作った体制に唯々諾々と従う日本の女たち(わが妻も含む)を、秋雨の夜友人との談論でののしったことだった。

啄木は21歳の時、釧路新聞(08年1月28日)に「新時代の婦人」というすぐれたフェミニズム論を書いている。これも合わせ読むと掲出歌はいっそう面白くなる(資料参照)。

「わが日の本の女等」の中に妻節子を含めて「ののし」った啄木だが、そしてそれは確かに節子にも当てはまるのだが、しかし、すでに書いたように節子は自律心のしっかりした女性である。「知己の娘」とはちがう。彼女の心の中に動いていることを、明察の人啄木は気づいていない。1年後に事件が起こる。

以上の見開き4首のモチーフは「妻をめぐる心」と言えよう。

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