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2010年9月11日 (土)

わが抱く思想はすべて  その1

     わが抱く思想はすべて

     金なきに因するごとし

     秋の風吹く

<ことば> 「思想」=(後述) 「因する」=もとづく。原因する。(新潮現代国語辞典) 「ごとし」=はっきりと断定しないで、婉曲・不確実にいうのに用いられる。…ようだ。…ようである。(大辞林)

作歌は1910年(明43)9月9日夜。初出「創作」同年10月号。

「思想」は「①考え。意見。②〔哲〕思考作用の結果として生じた意識の内容。学理的統一の体系を備えた思考内容。」(新潮現代国語辞典)という2つの意味に大別される。

1910年末に「明治四十四年当用日記補遺」の「前年(四十三)中重要記事」の中に啄木はこう記している。

 思想上に於ては重大なる年なりき。予はこの年に於て予の性格、趣味、傾向を統一すべき一鎖鑰(さやく)を発見したり。社会主義問題これなり。予は特にこの問題について思考し、読書し、談話すること多かりき。

この場合の「社会主義(問題)」は②の「学理的統一の体系を備えた思考内容」の意味である。掲出歌の「思想」を岩城之徳氏が「ロシアのクロポトキンの無政府社会主義」であると言われる場合がまさにこの解釈である。しかしそれでは「わが抱く思想はすべて」が解けなくなってしまう。「社会主義」の外にもたくさんの「思想②」があって、それらのすべて、となってしまうからである。

上田博氏が「『思想』は人間の内面的秩序の別名」であると言われる場合も「思想②」系であることは明らかで岩城氏の解釈と同様のアポリアにはまってしまう。

木股知史氏は「思想の内容が、貧困を生み出す制度に対する批判であるとしても……」、と言われるので、氏の解釈される「思想」も②系のようである。

今井泰子氏は「『わが抱く思想』は、現実に反逆しそれを壊そうと願う気持ち。『思想』という堅い表現が、その憤怒の激しさと、それが作者の中ですでに論理化されていることを示唆」と言い(今井泰子-掲出歌頭注10)、さらに「『時代閉塞の現状』に展開されたような思想の意」と言われる(同-補注12)。今井氏の「思想」もあきらかに②系である。

わたくしも②系の「思想」だと思い、解釈に苦しんだ。「わが抱く思想はすべて」であるから「思想」はたくさんあるのである。それらの「すべて」なのである。②系の「思想」がたくさんあるわけがない。しかしそれらの「思想」を探り当てねばこの歌の解釈はできない。解釈の前提と解釈の内容が水と油のように相離反する。ついにこの歌を見るのも苦痛になって来た。

以下次回。

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