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2010年10月 9日 (土)

何事も思ふことなく

     

     何事も思ふことなく

     いそがしく

     暮らせし一日を忘れじと思ふ

<ルビ>一日=ひとひ。
初出『一握の砂』、したがって作歌は同年10月4日~16日。

歌の中の「一日」はいつの一日なのか。前歌と同じく、作歌時に近い10月中のある日なのか、あるいは記憶の中の過去の一日なのか。

ちょっと迷うところですが、72ページからは1910年10月現在に近い歌ばかりを並べていますから、この歌も同様と見なせましょう。

ところでこの歌から受ける印象は次のどちらでしょう。

1、朝起きてから午前中一仕事して、昼から出社・勤務・退社、夜帰宅して食事そしてまた仕事といったように、「いそがしく暮ら」した1日。

2、休日に家で『一握の砂』の歌々を作ったり、編集したりして同じ仕事内容に没頭して「いそがしく暮ら」した1日。

わたくしは、仕事の時間も内容も途切れることなく続いた1日つまり2の方をとります。

テキストの解説中の「『一握の砂』ができるまで」(315ページ)をご覧下さい。出勤日も休日もものすごい仕事をしていますが、休日の「仕事」の集中・持続は超人的であったと推定されます。

<解釈>(閉塞状況に息が詰まる日本の日常だけれど)『一握の砂』を創り出す、これ以外のことは何にも思わず、ただひたすら忙しくその仕事に集中したこの一日があったことを、忘れまいと思う。

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コメント

こんにちは
ドキュメンタリー映画「弁護士 布施辰治」を見ました。啄木の「地図の上朝鮮国に黒々と墨をぬりつつ秋風を聞く」が紹介されていました。
明治43年の秋風が、百年の時を超えて2010年に生きる私の心に吹いてきました。
生きることと、文学と、社会活動が切実に結びついていた時代があったということを、今の私達はもう一度しっかり考えてみる必要があると思いました。

ナキウサギ様 いつも心に沁みるコメントをありがとうございます。「明治43年の秋風が、百年の時を超えて・・・私の心に吹いてきました」というあざやかな表現に感動しました。石川啄木の歌は100年の時を越えて、紫式部の文章は1000年の時を越えて、我々の胸にまっすぐに来てくれます。本物の文学のすごさ。啄木の文学のもつ社会性・思想性が青年たちの胸によみがえる日を夢見て、啄木研究を続けます。これからもお力添えください。

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