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2010年10月20日 (水)

誰そ我に  その2

     

     誰そ我に  その2

わたくしは次のように解釈します。

伊藤がハルビン駅頭でアンジュングンに狙撃されたのは1909年10月26日午前9時。午前10時に絶命します。このニュースは午後3時には日本に伝わりものすごい衝撃を与えます。

「百回通信」16、17、18において、啄木は伊藤の死を哀悼し、伊藤の政治家としての生涯・業績を誉め讃え、人柄の魅力を語ります(資料参照)。他方で暗殺者アンジュングンに篤い同情を表明します。

東京朝日新聞に歌を「読人不知」との署名で投稿し9首が載ります。そのうち最後の1首はつぎの歌です。 
  しかはあれ君のごとくに死ぬことは我が年ごろの願ひなりしかな

掲出歌と「地図の上」の歌の関係は、「百回通信」16、17、18の構造と本質的に変わりありません。したがって掲出歌は「しかはあれ」の歌を内容的に受けついでいると見なし得ます。

1909年(明42)10月の啄木と1910年(明43)の啄木とでは社会認識において、飛躍的な変化があります。大逆事件が間にはさまるからです。たとえば桂太郎首相に対しては親愛的態度からきびしい批判的態度へと変わります。

しかし、伊藤に関しては、幕末における志士・明治期における最大の政治家という認識に変わりはなかったと思われます。そしてその認識は21世紀の現代にあっても基本的に正しいでしょう。(仮に伊藤の朝鮮政策に対して批判的になっていたとしても、伊藤の死に方に対する賛嘆の念の変わらなかったことは、掲出歌が逆に証明している、とも言えます。)

<解釈>(「何事も金金」の不平ではないけれど、わたしは近頃かなりの「危険思想」の持ち主になって来た。この調子で進んで行くと将来国事に奔走するようになるかも知れない。そして誰かに狙われるかも知れない、あの伊藤公のように。こんなことに空想が及んでふと思った。)だれかわたしにピストルか銃を向けて撃ってみろよ。そのときはきっと伊藤のように美事に死んで見せよう(と)。

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