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2010年10月13日 (水)

何事も金金とわらひ

     

     何事も金金とわらひ

     すこし経て

     またも俄かに不平つのり来

<ルビ>金金=かねかね。俄か=にはか。来=く。
<語意>不平=心が満たされず、おだやかでないこと。

作歌は1910年(明43)9月9日夜。初出「創作」同年10月号。

作歌時は「何事も金々といひて笑ひけり不平のかぎりぶちまけし後」

「何事も金金」は「世の中のことは何事も金だ、金」ということでしょう。ことわざの「金の世の中」とか「いずこの沙汰も金次第」などを思い出させます。

啄木の「貧乏」は有名で誰でも知っていますが、2つの時期に分けてその「貧乏」を考えてみる必要があります。

1、金を稼ぐことよりも自分の文学活動を優先した時代。1902年(明35)11月~1909年(明42)8月。

2、家族のために働くことを第1とし、自分の文学活動を第2の位置においた時代。1909年(明42)9月~1912年(明45)4月(つまり没年まで。ただし11年2月不治の病に倒れ以後病床にあり。)

2の時期に当たる10年(明43)12月21日づけ宮崎郁雨あての手紙から引きましょう。

 昨日社から賞与を五十四円貰つた、子供の葬式、野辺地の老僧が死んで父が行つて来た時のおくれ(先延ばしにしてきた支払い)、それから例の君も知つてる筈の下宿屋(蓋平館)ののこり(月賦5円)、そんなのを払つたら今朝はもうない、この歳暮の財政は何う勘定しなほしてみても二十五円許り足らない、僕の頭は暗い、つくづく厭になつた、来年から家計の独立を謀らうと思つて、月十円の金が欲しさに夜勤もやつた、然しもう厭になつた、年でも改まればまた元気も出るかも知れないが、少くとも今の所では僕は何もかも厭だ、一年間保険付といふ枕時計を去年の十月買つたつけが、一年過ぎたら正直にも先月から狂い出した、止つて止つてしやうがないので、シコタマ石油を注(さ)してやつたところが、今度は一時間に十五分から二十分位進む、狂つた時計に対して僕には悲しい思ひがある、油! 油! 油!

もう1年以上啄木は孜々として働いてきました。そしてボーナスが54円(これは当時としては高額)も入ったのに一夜にして消えています。無駄づかいの形跡は見えません。砂地が水を吸い込むようにただ消えています。(12月初めに出た『一握の砂』は今日なら大ベストセラーになり、何億円も入るところですが、東雲堂に20円で買い上げられ、それはもう妻の出産費用に消えています。)
歌の内容はこの手紙よりはやい9月か8月のことでしょう。でも本質的な事情は手紙の12月と変わらないでしょう。まったく「はたらけど/はたらけど猶わが生活楽にならざり」です。

掲出歌で啄木は貧乏を嘆いているのではありません。父母への孝行にも金、妻への愛情にも金、子を養うにも金、子供が死んで金、世話になった伯父が死んで金、妻が病気で金、母が病気で金、原稿用紙やインクに金、机上のランプに金・・・・。

自分のほとんど全活力は金を稼ぐことに費やされ、残るのはひどい徒労感のみ。

啄木は先に述べた「家族のために働くことを第1とし、自分の文学活動を第2の位置にお」く生活を「二重の生活」と呼んでいます。そして第二歌論「歌のいろいろ」にこう書いています。

 (現状に)忍従し、それに屈服して、惨(いた)ましき二重の生活を続けて行く外に此の世に生きる方法を有(も)たないではないか。自分でも色々自分に弁解しては見るものの、私の生活は矢張り現在の家族制度、階級制度、資本制度、知識売買制度の犠牲である。

「またも俄かに不平つのり来」の「不平」の基底には社会科学研究によって培われ社会認識があるのです。

<解釈>「世の中のことは何事も金だ、金」と不平を鳴らして笑ってみたものの、笑って済ますには現実はあまりにむごい。少し考えているとまたしても、私に二重生活を強いる現実への不平がつのって来ることだ。

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