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2011年4月28日 (木)

「我を愛する歌」の研究 3

ともあれ『一握の砂』全5章のうち4つの章の編集上の巧緻については前掲小著『『一握の砂』の研究』で論じたが、巧緻は「我を愛する歌」にも張りめぐらされていたのである。
啄木端倪すべからず。

なお、ブログ版で本稿をお読みになる方には、2つのお願いをしておきたい。

ブログには2ページ4首(または1ページ2首)を1回分として載せて行くが、その1回分ごとに、テキストに帰って啄木の編集・割付の巧緻を再度味わっていただきたい。
またテキストの組版(字体を含む)は「日下潤一+長田年伸+原田潤」氏の作品であるが、これは啄木の指示で作られた東雲堂版『一握の砂』の魅力を、文庫版に再現した入魂の傑作である。これも味わっていただきたい。

3ページ。                                

       東海の小島の磯の白砂に
   われ泣きぬれて      
   蟹とたはむる

【解釈】地球のはるか東の方に明るく青々と広がる海、そこに浮かぶ緑なす小島、その波打ち際の白い砂地で、ぼくは泣きながら蟹とたわむれ、悲しみをまぎらすことだ。
【巻頭・章頭歌としての解釈】世界の東の海上に位置する20世紀初頭の日本、天皇制国家の強権のもとに苦しむ日本の<東海の小島の>、東京のとある片隅で<磯の白砂に>、「時代閉塞の現状」と闘おうとするのだが「敵」は強大で手立てを見出せぬまま、ぼくは「意に満たない生活をして」おり<われ泣きぬれて>、そのような生活に耐えねばならぬ「不幸な日」「有耶無耶に暮らした日」にはかけがえのないいのちの刹那の記録として、自己愛惜の表現として、短歌を作るのだ<蟹とたはむる>。(「 」内は啄木自身の言葉)
   

   頬につたふ
   なみだのごはず
   一握の砂を示しし人を忘れず

【解釈】頬を伝い落ちる涙をぬぐおうともしないで「一握の砂」を示し、有限の時間の中を生きるわれわれだ、だからこそ、いのちの一瞬一瞬を充実させて生きて行こうよ、と教えくれた人のことを私は忘れない。

注解】テキスト3ページの脚注・補注参照。

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