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2011年5月21日 (土)

「我を愛する歌」の研究 13

22-23ページ

     何となく汽車に乗りたく思ひしのみ
     汽車を下りしに
     ゆくところなし

【解釈】下宿は居心地が悪い。下宿を出て気晴らしでもしたいが、金も無い。だから居どころも無いし、行きどころも無い。そこで汽車に乗りたくなっただけのこと。とある駅で降りたけれど、当然そこでも行きところは無い。

     空屋に入り
     煙草のみたることありき
     あはれただ一人居たきばかりに 

【解釈】もし家主や巡査に見つかれば罪をとわれると分かっているのに、空き屋に入って煙草を吸ってたことがあった。ああ、一人っきりになりたいために。

     何がなしに
     さびしくなれば出てあるく男となりて
     三月にもなれり 

【解釈】何という訳もなく、さびしくなると下宿を出て外をほっつき歩く男となって、もう3ヶ月にもなる。

     やはらかに積れる雪に
     熱てる頬を埋むるごとき
     恋してみたし 

【解釈】ふわっと積もった真っ白な雪に、赤くほてった頬を埋めて冷やしたくなるような、そんな恋をしてみたい。

注解】居場所のない悩みをうたう3首・熱い恋に居場所を求める1首。

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コメント

ご無沙汰しています。ようやくブログを再開し、近藤さんのも久しぶりに読んでいます。21日の汽車の歌で、丸山薫を思い出しました。昭和2年の大学生も汽車に啄木と同じ思いを抱いていたのですね。ご存知の次の歌です。

汽車に乗って
あいるらんどのやうな田舎へ行かう
ひとびとが祭の日傘をくるくるまはし
日が照りながら雨のふる
あいるらんどのやうな田舎へ行かう
窓に映った自分の顔を道づれにして
湖水をわたり隧道をくぐり
珍しい顔の少女や牛の歩いてゐる
あいるらんどのやうな田舎へ行かう

珍しい顔の少女ってどんな子でしょうね。

上野格様
お久しぶりです。コメントをいただきうれしく、早速ご返事したのですが、それが不思議なことに、消えてしまいました。2日ほどPC内をさがしまわったのですが、見つからず、困惑している内にその後日々が流れました。もう一度書きます。啄木の歌と丸山薫の詩と、佳い関係ですね。茨木のり子の「六月」を連想しました。ご存じでしょうけれど、引いてみます。

どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終りには一杯の黒麦酒
鍬を立てかけ 籠を置き
男も女も大きなジョッキをかたむける

どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮は
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる

どこかに美しい人と人との力はないか
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる

石川啄木-丸山薫-茨木のり子、佳い系譜ができたようです。
   
再開された上野さんのブログ「某年金生活者のぼやき」、筆鋒いよいよ冴えてますね。

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