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2011年5月26日 (木)

「我を愛する歌」の研究 15

再開したブログ「我を愛する歌」の研究の2と3で述べたことをたまに要約して、繰り返し載せることをお認め下さい。

このブログの勘どころは【注解】にあります。いつも【注解】にご注目の上、次の2点を実行してください。

1、ブログには2ページ4首(または1ページ2首)を1回分として載せて行きますが、その1回分ごとに、朝日文庫版のテキストに帰って啄木の編集・割付の巧緻を再度味わってください。
2、またテキストの組版(字体を含む)は「日下潤一+長田年伸+原田潤」氏の作品ですが、これは啄木の指示で作られた東雲堂版『一握の砂』の魅力を、文庫版に再現した入魂の傑作です。これも味わってください。

また、【解釈】は【注解】理解に必要な最小限の内容です。【解釈】をほんとうに理解するためにはわたくしのHP「石川啄木著『一握の砂』を読む」の「『一握の砂』全歌評釈」に当たってください。たとえば下の歌の「手が白く且つ大なる男」が高村光太郎であることは、【解釈】を百万遍読んでも分かりません。

26-27ページ

     手が白く
     且つ大なりき
     非凡なる人といはるる男に会ひしに

 
【解釈】手が白くて大きかった。非凡な人と言われている男との会談の印象はそんなところだった。

     こころよく
     人を讃めてみたくなりにけり
     利己の心に倦めるさびしさ 

【解釈】気持ちよく他人を賞讃してみたくなってしまったなあ。讃めている時というのは、その人のことだけで自分のことは考えていない時だもの。現実の自分はどうかと言えば、家族のために脇目もふらず働いているけれど、小説を書く時間が欲しいという思い(利己の心)が強烈で、これを押さえ込むだけでくたくただ。独り心の中でこんなことを悩んでいるさびしさ!

     雨降れば
     わが家の人誰も誰も沈める顔す
     雨霽れよかし
 
【解釈】家族関係がむずかしく、普段から気持ちの沈み勝ちのわが家だが、今日はだれもだれも沈んだ顔をしている。きっと雨が降っているせいに違いない。雨よどうか霽れてくれ。みんなの顔も晴れるかもしれないから。

     高きより飛びおりるごとき心もて
     この一生を
     終るすべなきか
 
【解釈】私はある思想問題で決断できずに苦悩し、苦悩をのがれるために気持ちを他の事に向けて緊張させようとするのだが、それも持続できない。高いところから飛び降りる時のあの決断と緊張の心理を持ちつづけて、わが一生を全うする方法はないものか。

注解】p.26=彫刻一途の男・文学一途になれない自分。p.27=家長としての悩み・思想家としての悩み。

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