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2011年5月11日 (水)

「我を愛する歌」の研究 9

14-15ページ
     

     愛犬の耳斬りてみぬ
     あはれこれも
     物に倦みたる心にかあらむ 

【解釈】愛犬の耳を刃物で傷つけてしまった。ああ、こんなひどい馬鹿なことをことをするのも、何もする気が無くなった心のせいだろうか。
     

     鏡とり
     能ふかぎりのさまざまの顔をしてみぬ
     泣き飽きし時
 
【解釈】鏡を手にとって、自分の顔で百面相をして写して見た。もう泣くのに飽きた時に。
     

     なみだなみだ
     不思議なるかな
     それをもて洗へば心戯けたくなれり 

【解釈】なみだなみだ、これは不思議だぞ。なみだで心を洗ってやると、心が悲しみを忘れ、戯けたくなるぞ。 
     

     呆れたる母の言葉に
     気がつけば
     茶碗を箸もて敲きてありき 

【解釈】あきれてたしなめる母の言葉に気がついてみると、何に浮かれたのやら、調子をとって箸で茶碗を敲いているのだった。

注解】心の姿4態。

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コメント

近藤先生
 「我を愛する歌」の研究、有難うございます。読むたびに、大きな慰めと癒しを与えられます。僕にとって、かけがいのない人生の伴侶、「愛犬ビバ」を傷つけるなどということは考えも及びません。寒い冬は僕のベットにもぐりこみ、今は玄関フードで毎朝散歩をストレッチしながら待っています。だからこそ「彼」の傷の深さが思いやられます。
「わがもとで憩えるビバの失せし時 わが欠けたるを何ぞ埋めにき」(尚男)

安達尚男様
いつもご愛読ありがとうございます。「愛犬」の歌はよく誤解をまねきます。以前ドイツの詩人が、あのやさしい啄木が、なぜ愛犬の耳を切り落としたりできるのか、と驚き嘆ききました。啄木は犬を飼ったこともありませんから、愛犬もフィクションです。この歌のくわしい評釈にについては、HP:石川啄木著『一握の砂』を読む、の『一握の砂』全歌評釈、をご覧下さい。疑問を提起していただくのはうれしことです。ありがとうございました。

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