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2011年6月14日 (火)

「我を愛する歌」の研究 24

44-45ページ

     時ありて
     子供のやうにたはむれす
     恋ある人のなさぬ業かな 

【解釈】何かの拍子にいい年をした男が子供のようにふざけたりする。どうして年甲斐も無いことをするんだ? 私に軽薄さがあるからだ。たとえば恋をしている男なら恋人を鏡として、軽薄さが表れないように自分を持するだろう。ところがどうだ、私のこの軽さは。

     とかくして家を出づれば
     日光のあたたかさあり
     息ふかく吸ふ
 
【解釈】なにやかやと用事をして(たとえば手紙を書くとか、歌を作るとか)、家を出ると、春の太陽が明るく暖かくわが身に降り注ぐ。わたしはそれを胸一杯に吸い込む。思えばこの明るさ・暖かさはわが家の中には無いものだった。

     つかれたる牛のよだれは
     たらたらと
     千万年も尽きざるごとし 

【解釈】もう考えることにも小説を書くことにもつかれてしまったぼくは、何をしても何を試みてもマンネリズム。つかれた牛のよだれと同じで際限もなく似た考え、似た試みが出てくるだけだ。

     路傍の切石の上に
     腕拱みて
     空を見上ぐる男ありたり 

【解釈】銀座の敷石の鋪道の脇で、通り過ぎる人々をよそに、腕を拱んで空を見上げている男があった。その男はつきまとう「利己の一念」をめぐってはたと思いあたることがあり、考えこむわたし自身であった。

注解】p.44=自覚。p.45=堂々巡り。

<ブログをお読みいただくに際してのお願い>

このブログの勘どころは【注解】にあります。いつも【注解】にご注目の上、次の2点を実行してください。

朝日文庫版のテキストに帰って啄木の編集・割付の巧緻を、さらに組版(字体を含む)の妙を味わってください。

【解釈】は【注解】の理解に必要最小限の内容です。【解釈】をほんとうに理解するためには右のマイリストから「石川啄木著『一握の砂』を読む」に行き、「『一握の砂』全歌評釈」の当該歌に当たってください。

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