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2011年6月22日 (水)

「我を愛する歌」の研究 28

52-53ページ

     人並みの才に過ぎざる
     わが友の
     深き不平もあはれなるかな 

【解釈】人並みの才能でしかない友の不平を聞いていると、その不平が深ければ深いほど、友の自己認識の浅さが露わになり、かわいそうになってしまう。同時に私の「見えすぎるかなしみ」も深まるのだ。 

     誰が見てもとりどころなき男来て
     威張りて帰りぬ
     かなしくもあるか 

【解釈】だれが見てもとりどころのない男が酔っ払って遊びに来て、怪気炎を吐き大威張りして帰っていった。底の浅さが露出しているような男の怪気炎につきあっていると、ただただ憐れさがつのる。

     はたらけど
     はたらけど猶わが生活楽にならざり
     ぢつと手を見る
 
【解釈】週6日の出勤、その上3日に1度は夜勤、その他に二葉亭全集の校訂・編集、その他に(小説、評論、短歌などの)原稿書き。こうして働いてもそして働いても、わたしと家族の生活は楽にならない。家族が5人であること、返済中の借金があることなど、自分には特殊な事情もある。それにしてもこの「楽にならなさ」はどうだ。そう思って給料を稼ぎ出すわが手をじっと見つめていると、マルクス・幸徳らの説いているのが思い起こされる。貧乏は資本家的生産の社会で働く人々に共通の大問題なのだ、と。

     何もかも行末の事みゆるごとき
     このかなしみは
     拭ひあへずも 

【解釈】大逆事件の被告たちの前途には秋水死刑を含む苛酷な判決が待っているようだ。何もかも行く末の事が見える気のするこのかなしみは、ああどうしても拭い去ることができない。

注解】4首共通の主題、見えすぎるかなしみ。

<ブログをお読みいただくに際してのお願い>

このブログの勘どころは【注解】にあります。いつも【注解】にご注目の上、次の2点を実行してください。

朝日文庫版のテキストに帰って啄木の編集・割付の巧緻を、さらに組版(字体を含む)の妙を味わってください。

【解釈】は【注解】の理解に必要最小限の内容です。【解釈】をほんとうに理解するためには右のマイリストから「石川啄木著『一握の砂』を読む」に行き、「『一握の砂』全歌評釈」の当該歌に当たってください。

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