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2011年7月 6日 (水)

「我を愛する歌」の研究 35

66―67ページ

      あたらしき心もとめて
     名も知らぬ
     街など今日もさまよひて来ぬ

【解釈】(政府の無体な弾圧が招いた文学界・思想界の異様な沈滞情況。わたしも言葉を奪われ心がしなびてしまいそうだ。家にいるのも息苦しい。わが心を蘇らせてくれるところはないか。こうして)心の新生をもとめ、名も知らぬ街を今日もさまよった来た。

     友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
     花を買ひ来て
     妻としたしむ

【解釈】(ひどく落ち込んでいるので)普通に生活している友がみなかえって立派に見える日よ。(そういう日は友とは過ごしたくない。)花を買い求めて家に帰り、妻と花を愛でて睦まじく過ごすのだ。

     何すれば
     此処に我ありや
     時にかく打驚きて室を眺むる

【解釈】(クロポトキンを読んで革命の日をまじまじと空想してしまい、急に空想から現実に戻った時など自分の今いるところが分からなくて)え、どうしてここに自分がいるんだ? と時にはびっくりしてぼくは自分の部屋を眺めるのだ。

     人ありて電車のなかに唾を吐く
     それにも
     心いたまむとしき

【解釈】人がいて、その人が電車の中に唾を吐く。(そんな市井の瑣事にも日本人の根本的運命が見える気がして)心が痛みそうになったのだった。

注解】p.66の2首は「違う環境に救いを求める心」、p.67の2首は「今の環境への違和感」をうたう。見開きとしては「環境に動く心」

   <ブログをお読みいただくに際してのお願い>

このブログの勘どころは【注解】にあります。いつも【注解】にご注目の上、次の2点を実行してください。

朝日文庫版のテキストに帰って啄木の編集・割付の巧緻を、さらに組版(字体を含む)の妙を味わってください。

【解釈】は【注解】の理解に必要最小限の内容です。【解釈】をほんとうに理解するためには右のマイリストから「石川啄木著『一握の砂』を読む」に行き、「『一握の砂』全歌評釈」の当該歌に当たってください。

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