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2011年7月19日 (火)

「我を愛する歌」の研究 41(最終回)

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     やとばかり
     桂首相に手とられし夢みて覚めぬ
     秋の夜の二時

【解釈】いきなり強い力で強権政治の親玉・桂首相に腕をつかまれた。びっくりして目が覚めた。秋の夜の2時だった。(強権政治下にあって心の遣り場を歌作りに求めるわたしは、こんな夢を見て目を覚ますわたしでもあるのだ。)

注解】プロローグ「東海の小島」の歌は、巻頭に置かれたことで、もう一つの意味を持たされたのだった。「時代閉塞の現状にある日本の片隅で、なすところもないわたしは、短歌を作って玩具代わりにしているのだ」と言う意味である。これはエピローグである掲出歌の意味と美事に照応している。

「我を愛する歌」全151首を見開き毎に調べてきて、今や次のように確認できる。

ランダムな配列を特徴とすると思われたこの章のほとんどの見開きにまで、啄木は編集・割付の巧緻を張りめぐらせてあったのだ。

他の4つの章にはりめぐらした編集・割付の巧緻については、小著『『一握の砂』の研究』(おうふう)ですでに論じた。

しかし、昨年「我を愛する歌」全151首を評釈しはじめたことから、今回の結論が出たのであった。他の4つの章の各歌の評釈を始めたなら、どんなことが明らかになるのか、見当もつかない。まことに、啄木端倪すべからず。

このブログ、今後どうするか、今考えているところです。現在『(定本悲しき玩具)一握の砂以後+(復元幻の啄木歌集)仕事の後』の出版を準備中です。桜出版から10月半ばに出る予定です。そして今、この本の「まえがき」、2つの「凡例」、2つの「解説」、「あとがき」を書くのに苦労しています。この内の「解説」を先にこのブログに連載しようか、とも考えています。それはわたしの「悲しき玩具」論+「仕事の後」論となるはずです。数日の猶予をください。近藤

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