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2011年8月18日 (木)

(定本悲しき玩具)一握の砂以後 解説 13

1911年(明44)になった。     

  過ぎゆける一年のつかれ出しものか、
  元日といふに
  うとうと眠し。                45            

まだ心身の疲れは抜けないらしい。

「精神修養」「早稲田文学」「秀才文壇」「創作」4誌の1月号に啄木の歌々が載る。

東京朝日新聞紙上の「啄木歌壇」の盛況といい雑誌からの注文の多さといい、啄木短歌は今花開いたことを知らせている。

正月の3日、幸徳事件の法廷で12月下旬に大弁論を展開した弁護士平出修と与謝野家に年始の挨拶に行く。

平出の家で幸徳事件の裁判に関する生々しい情報を聞く。

東京朝日新聞社に出社し、鈴木文治(のちの大物労働運動家)と無政府主義に関する議論をする。この日から疲れも「風邪」の後遺症も吹っ飛んだらしい。

そして幸徳が獄中から弁護士に宛てた手紙を平出から借りてきて筆写する。

歴史の証言者石川啄木の活動が活発化する。

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