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2011年8月 8日 (月)

(定本悲しき玩具)一握の砂以後 解説 8

そして「一握の砂以後(四十三年十一月末より)」にもこの方式が適用されたらしい。

第二歌集では歌稿ノートは作らず、歌は原稿用紙(おそらく二百字詰)に記入し、それらの歌稿を基に四首単位に編集しては、ノートに清書する方式をとったと推定される。

したがってこのノートは初めから手製の歌集=ノート形式の歌集なのである。もちろん出版に当たっては、ノート歌集を基に最後の推敲・編集を施しつつ、新しく原稿用紙に書き写したうえで、出版社に渡すつもりだったであろう。

復刻版のノート歌集は最後の歌の記載されているページまでが五二葉、そのうしろの余白は一二葉、計六四葉の薄いものであるが、日本近代文学館所蔵のノート原本は計一八四葉の分厚いものである。

これはざっと七〇〇首の記載が可能な厚さであり、啄木が第二歌集にかけた意気込みを示している。

さて、明治「四十三年十一月末」という時期は『一握の砂』の全原稿・藪野椋十序文の再校ゲラ・名取春仙の表紙絵等のすべてが東雲堂に渡ってしまった時期、を意味する。啄木はその時よりすなわち明治「四十三年十一月末より」新しい作歌を始めたのである。

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