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2012年9月18日 (火)

石川啄木伝 東京編 その2

 ところで啄木が三河丸に乗り込む前日の4月23日、三木露風が内海信之宛てにおもしろい手紙を書いている。

 石川啄木君も愈々本月下旬北海道より野口雨情共々携えて上京の筈に候、啄木は新詩社にて活動する筈に候、しかし当分は遅れたる詩風故勿論駄目に候ふべし。鉄幹は此れを命と頼んでゐる様子目もあてられず気の毒千万に候、

 与謝野寛は、すでに時代に取り残されつつあった。啄木の目には3年前より「余程年老つ」て見えた。家計も不如意のようだ。明星は売れなくなっていた。明星を出すたびに月に30円の損になるという。
 小説の話になると、寛は漱石を激賞して、朝日新聞連載中の島崎藤村「春」を罵倒した。「自然派などといふもの程愚劣なものは無い」と言った。そして「僕も来年あたりから小説を書いて見ようと思つてゐるんだがね」と言った。啄木が「来年からですか」と聞くと「マア、嶋崎君なんかの失敗の手本を見せて貰つてからにするサ」と言う。

  

 ……予はこれ以上聞く勇気がなかつた。……
 十時に枕についた。緑の都の第一夜の夢は、一時過ぐるまで結ばれなかつた。

 翌日本郷菊坂の赤心館に金田一京助を訪ねる。すっかり話し込んで寝たのは2時過ぎ。
翌30日、金田一の部屋で目を覚ました。金田一の自然主義論に興がひかれる。
 千駄ヶ谷に帰ると森鴎外から5月2日にある観潮楼歌会への案内が届いていた。寛の配慮によるのであろう。
 東京はたしかに釧路にいたときとは比較にならぬ文学的刺激に満ちている。函館時代の親友並木武雄を、市ヶ谷に訪ねる。並木は東京外国語学校(現東京外国語大学)の清語(中国語)学科に入学したばかり。夜漱石の『虞美人草』を読んで寝る。
 5月2日与謝野寛とともに本郷区駒込千駄木町21番地の森鴎外邸へ。この日の観潮楼歌会で啄木は5年前は雲上の人であった鴎外をはじめ、佐佐木信綱、伊藤左千夫、吉井勇、北原白秋と面識を得たのである。平野万里とは再会であった。
 こうして啄木は短歌界に復帰した。1年前のことだが、函館に渡ったときは歌が出てこないととまどった啄木であったが、苜蓿社同人達との歌会で感覚をとりもどし、小樽日報に「藻しほ草」、釧路新聞では「釧路詞壇」という短歌欄を設けて選者を兼ねていた啄木だった。

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