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2012年9月24日 (月)

石川啄木伝 東京編 その4

昨日の7日、鴎外宛てにこう書いたのも啄木だった。
 中学もロクに卒業せぬ程素養のなき私、……其昔の稚なかりし不敵の自惚何処へやら、……謂はゞ文芸を、私如きものが世に生きて行く上の、物質的にはた精神的に、唯一つの生活の方法とやらに、身をはかなく小さきものに存じ、……函館よりの船の中、東京及び東京の人が如何に進んで居るかも知らねば、云ひしれぬ怖れと不安に心細く、……
などとしおらしく書いていたのである。
一夜明けるとこの放言である。書いている内にきっと、「ロマンチツクの影」が動いて「空想は空想を生みて尽くる所なし」となって(4月22日大島経男宛)、いっぱしの作家になった気分になり、いつしか空想の中で自分を漱石以上の才能に押し上げているのだ。第1次上京時とも第2次上京時(『あこがれ』時代)ともまったく変わらない。
啄木の現実から目をそらすやりかたは二重である。一つは意識的に直視を避ける。もう一つは無意識のうちに避ける。前者は意識のどこかで逃げていることを自覚している。後者は空想癖であって無自覚である。その空想の根っこは無制限の自己愛とこれに合体した天才意識である。現実逃避のほとんど全空想はこの根っこからたえず生えてくるのである。「漱石以上の才能」の妄想などはその典型だ。

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