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2012年10月26日 (金)

石川啄木伝 東京編 20

 小説「天鵞絨」の構成はきわめて単純だが破綻はない(絵空事なのだから当然だが)。
 この小説の最大の取り柄は東北地方岩手県渋民村の性風俗の描写であろう。これはいわゆる夜這いをめぐる具体的で生き生きした民俗資料として貴重である。啄木がここにフィクションの形でとはいえ、生きた資料を提出できたのは、村の性風俗をかなり具体的に掴んでいたからである。07年(明40)1月7日の日記に「兎角田園にまぬかれ難き男女間の悪風潮を一掃し」と記してかの卓越した先駆的性教育を実践したことはすでに見た(石川啄木伝その7)。村の青年達からかなりくわしく「男女間の悪風潮」を聞いなくてはできない実践だった。
 「菊池君」や「病院の窓」の執筆では身にあわない(借り物の)自然主義に無理に合わせようとして失敗した。自然主義から離れてみるとこのように絵空事になる。作家石川啄木は根無し草となって漂流しはじめた。しかし脳天気の啄木は「原稿料がうまく出来たら、吉井君と京都へ行く約束」をしている(日記6月7日)。
 直観の冴えわたる啄木が自分の作品の価値を直観していないはずはない。しかしその直観しているものを見据えようとはしない。駄作を傑作と敢えて見なさずにはいられないのだ。なぜか。自己の真実を見るのが怖いのだ。なぜ駄作を傑作と思い込めるのか。自分は「天才」だからだ。「天才」啄木の書くものに駄作はありえない。そう思うことで直面する天才失格の恐怖から逃避するのだ。すでに見たように批評の根底を欠いたままで上京したのであった。いい小説を書く準備を怠ったままで、「創作的生活」に入ったのだから、書けるはずがない。駄作が出来る事は約束されている。

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