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2012年10月 4日 (木)

石川啄木伝 東京編 その9

 自己の文学的運命を極度まで試すために上京したのに、今を盛りの自然主義から、いや「蒲団」を書いた花袋の創作態度からさえまったく学ぼうとしていない。どこまでも夫を信じひどい苦労に耐え、どこまでも夫に忠実に従ってきた妻節子。母と子供を一緒に預けたまま函館に置き去りにしてある妻。
 その妻を裏切ったこのたびの情事である。「肉霊の争ひ」を書くというのなら、かつて美しい愛の理想を謳いながら今その恋妻を裏切り、「肉」とやらに沈んだ自分の批評でなくてはなるまい。佐藤衣川=野村の問題ではあるまい。自分を「ナポレオン」に祭り上げて、他人の「肉霊の争ひ」をあげつらってどんな近代小説が書けるというだろう。
 しかも野村の描き方も稚拙である。人々の関係の構造を通じて野村を描かずに、野村と他の個々人のとの関係をそれぞれ単線で描き、それを通じて野村を描こうとするから、おそろしく退屈である。言ってみれば作者がくだらぬ男・野村についておしゃべりしているのを聞くだけなのである。くだらない男のことを聞かされるくらいくだらないことはない。
 さきの引用文中に郁雨あて書簡が引かれてあった。その「肉霊の争ひ胸中に絶ゆる事なく、下り坂一方の生活のために廉恥心なくなり、朝から晩まで不安でゐる人間」とは一語一句そのまま、釧路時代と今の啄木自身の一面ではないか。啄木は自分のこととは思っていない。自分はエリートなのだ。心の底では「天才」なのだ。「ナポレオン」なのだ。その高みから野村を見ているつもりなのだ。これほど自己批評能力のない作家などあり得るのだろうか。

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