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2012年11月 6日 (火)

石川啄木伝 東京編 25

 6月15日、平野万里からマクシム・ゴーリキーのThree of Them  を借りてきて読みはじめる。しつこくも春陽堂後藤宙外の自宅宛てに原稿料を払ってくれと手紙を出す。「森先生の口利きではないか」とも言い添える。この日の日記から。
   金を欲しい日であつた。此間太平洋画会で見た吉田氏の(魔法)、(スフインクスの夜)、(赤帆)など買ひたい。そして、吉野君岩崎君を初め、小樽の高田や藤田、渋民の小供等を呼んで勉強さしたい。……
 美術の好きな啄木らしい、友達に篤い啄木らしい、「日本一の代用教員」啄木らしい空想といえば言える。しかしここで思いがけない大金たとえば100円が啄木の手に入ったとしよう。きっと絵を買ってしまうだろうと思わせるのが啄木なのだ。
 真っ先に母と妻子に送金しよう、下宿代を払おう、と発想しないであろう点で啄木は異常なのである。それは単に金銭感覚だけの問題ではない。もっと深い啄木の病根によるのである。家族扶養義務の軽視(ほとんど放棄)、自らの食と住のつまり生存の基本条件の獲得の軽視(それは生業の軽視につながる)がかれの精神の根底に横たわっているのである。この二つ軽視は天才主義の残滓である。残滓がなぜあるか、自らを「天才」とする意識(選良の意識)があるからだ。それがこの甘ったれを自らに許すのである。

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