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2012年12月 4日 (火)

石川啄木伝 東京編 39

 さて、啄木のカタルシスはつづく。うち幾首か。
88、今日九月九日の夜の九時をうつ鐘を合図に何か事あれ
105、茫然として見送りぬ天上をゆく一列の白き鳥かげ
113、白馬にまたがりてゆく赤鬼の騎兵士官も恋せしあはれ (この歌後に抹消)
 午前11時頃歌の奔流は止まった。この昨夜中からの約11時間でつくったのは全部で113首目であったが、啄木はかぞえ違いしたのか、作ったのは「百二十首の余」と記した。
 翌6月25日。
 豊後臼杵町の菅原芳子から絵葉書をもらう。寛に頼まれて「明星」4月号のために釧路にいて歌の選者をつとめたとき、啄木は菅原芳子の歌をもっとも厚遇した。その芳子から絵葉書が届いたのだ。貞子に辟易している今、こちらに啄木の関心が動き始める。
 「後藤宙外氏から、春陽堂が十年来の不景気のため稿料掲載日まで待つてくれといふ葉書!」当時は日露戦後恐慌の最中であった。だからこの「不景気」はただごとではない。雑誌に掲載するに値しない原稿に金を払う余裕などなくて当然だ。
 しかし啄木にとっては戦後恐慌も「不景気」もどうでもよい。これで今月の下宿代支払いのメドはなくなった。これこそ大問題だ。「!」が啄木のショックを表している。またしても強いストレスがかかった。小説が書けない。金が入らない。食住が絶たれる。家族を呼べない。堂々めぐりの懊悩がストレスを増幅する。

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