« 石川啄木伝 東京編 41 | トップページ | 石川啄木伝 東京編 43 »

2012年12月10日 (月)

石川啄木伝 東京編 42

 そしてのちの名歌が誕生する。ただし五句は「三歩あるかず」。
116、たはむれに母を背負ひてその余り軽きに泣きて三歩あるかず
 父をうたう次の歌も佳い歌だ。曹洞宗の総本山から神童の息子に乗り替えようとして、宗費を息子の学費に流用した父のなれの果てだ。
120、わが父は六十にして家を出で師僧の許に聴聞ぞする
 母はどこまでも息子に尽くす。息子のためにはどんな苦労も辞さない。
122、あたたかき飯を子に盛り古飯に湯をかけ給ふ母の白髪
125、今日は汝が生れし日ぞとわが膳の上に載せたる一合の洒
 父にも悪いことをした。あれは何度目の帰郷の時だったか、何の事件の時だったか。
130、父と我無言のままに秋の夜中並びて行きし故郷の路
 突然父母を離れて、とんでもない歌を詠む。
132、女なる君乞ふ紅き叛旗をば手づから縫ひて我に賜へよ  
 6月23日の東京朝日新聞が、後に赤旗事件と呼ばれる事件を「日本の露西亜化」「錦輝館前の大騒動」「革命の赤旗」「妙齢の佳人」などの見出しでおもしろおかしく報じた。24日には国民新聞も「美人の無政府演説」「無政府の赤旗」などの見出しでセンセーショナルに報じた。132は赤旗事件を詠んだ歌なのである。
133、君にして男なりせば大都会既に二つは焼けてありけむ
 この歌の第三句の最初の形は「二人して」である。ここまで詠んでこの句を抹消し「大都会既に二つは焼けてありけむ」と詠んだのだ。「二つ」は「二人」を暗示しているわけである。「二人」とは誰か。東京朝日新聞は24日にも「無政府主義社会党員騒擾続報」を出したが、記事中に「女に似気なき豪語」を放つ者として「菅野、木暮、二婦人の豪語」を紹介している。事件の実際から言えば、「菅野」は管野須賀子、「木暮」は神川マツ子である。したがってこの歌は管野・神川を詠んだことになる。

« 石川啄木伝 東京編 41 | トップページ | 石川啄木伝 東京編 43 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/533861/56221345

この記事へのトラックバック一覧です: 石川啄木伝 東京編 42:

« 石川啄木伝 東京編 41 | トップページ | 石川啄木伝 東京編 43 »