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2012年12月16日 (日)

石川啄木伝 東京編 44

さて、24日、113首を作り終えるとすぐ「そのうち百許り与謝野氏に送つた」が、翌25日から26日午前2時にかけて141首作ると、26日にまた「昨夜の歌を清書して送つた」(日記)。
27日「夜、゛宝掘り゛といふ一幕物のドラマを書かうかと思つたが、長谷川氏から、今月はどうしても原稿料出せぬといふ手紙が来たので寝た。」 
博文館に置いて来た「二筋の血」「天鵞絨」が長谷川天渓によって体よく断られたのである。こうしてお定まりの逃避思考が始まる。
  噫、死なうか、田舎にかくれようか、はたまたモツト苦闘をつづけようか、
まことに安易な「死なうか」である。「田舎にかくれようか」というが田舎も田舎、植民地北海道という田舎の果てから、野望(というより妄想)に燃えて出て来たばかりではないか。「モツト苦闘を」というが、すでに半月逃げてばかりいるではないか。職に就けば書けないと思い、職に就かなくても書けないのだが、金がないから書けないとすりかえる。
28日には直接新詩社におもむきその後作った6首を追加・編集し「石破集」と題した最終稿を置いて来た。
この日新詩社に行くと与謝野寛がこのたびの啄木の歌に驚いており、「晶子さんも予の心をよんでから歌を作つたと云つた」という。歌の達人たちは啄木の新しい達成を早くも認めたのだ。
  “石川君は食ふ心配をさせずにおけばいい人だ”と与謝野氏が言つた。食ふ事の心配! それをした為に与謝野氏は老いた。それをする為に予も亦日一日に老いてゆく。
「食ふ心配」をしないで生きて行きたいのだこの男は。父一禎の生活感覚が身に染み込んで抜けない。
29日もまた同じことを繰り返す。(いやこの男はこれから1年以上同じことを繰り返す。)

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