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2013年1月14日 (月)

石川啄木伝 東京編 57

 女たらしの文章だ。この書簡が不真面目ばかりを書いているかというと、立派な現代短歌論も展開してもいる。
 型にはまりてその才を自ら束縛するといふ事は、何人にもある弊に候ふが、今後は全力あげてその型を打破する様にお努め被遊べく候。それには、簡単なる叙景叙事の歌と、少しでも誰かの作に似た様な事は全然お捨てなさるべく候。かくて初めて、自らの作りたる型の束縛を脱却し、常に清新なる手法を以て清新なる歌をよみうべき事と存候。
 啄木は実際にこうして自らの短歌の道を切り開いて行く。『一握の砂』『一握の砂以後』(『悲しき玩具』)に「簡単なる叙景叙事の歌と、少しでも誰かの作に似た様な」歌のない訳がここにすでに書かれている。
 手紙の結びはこうだ。
 まだ見し事なき君、若し御身のお写真一枚お恵み下され候はば如何許りうれしき事に候ふべき!
 芳子がこの願いを聞き届けるには、かなり躊躇を要する事情があった。
 7月22日。
  起きたのが十二時。下宿料の催促を受けた。
 謹直な赤心館主人夫婦は昨夜の女客の「長居」にひどく神経をとがらせたのだろう。

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