« 石川啄木伝 東京編 63 | トップページ | 石川啄木伝 東京編 65 »

2013年1月28日 (月)

石川啄木伝 東京編 64

 小説のできから言えば風葉にはとても及ばないにしても、この欠点は「雲は天才である」に始まるこれまでの啄木小説の欠点をそのまま言い当てているような評言である。
 次は相馬御風が引く風葉自身の言葉である。
 僕は元来何事に対してもその事一つに凝り固まつて底の底まで究める事の出来ない人間です。……かうやつて小説も随分永く書いては居るが、どうも僕にはチヤンとした方針が立たないので、たゞその時々に応じて作をなして居るだけです。(相馬御風)
 1908年の「作家」石川啄木がまさにこうである事、すでに見た。今の啄木には批評の根底がない。 
  氏は聡明な人だ、聡明な人だから、常に時代思潮の潮先を見て、どうかして其の流れに乗じやうとする、……
 氏には一定の主義、立ち場及哲学、思想と云ふものが無い……
 氏の立ち場が、いかに動揺して止まぬかを見る……
(以上江東生)
 啄木がこれまで時代思潮の先端を俊敏に察知して思潮の穂先を飛ぶように走るのをわれわれは見てきた。しかし北海道で自然主義という時代思潮を見てからの「作家」啄木はまさに江東生のいう風葉とそっくりである。「菊池君」「病院の窓」「天鵞絨」「二筋の血」は「立ち場が、いかに動揺して止まぬか」を見せている。
 風葉は翌09年5月豊橋に引っ込んで、次第に通俗小説作家になってゆく。東京に戻ることはなかった。
 このようにもう事実上書けなくなっている作家に共鳴するものを感じて、「居候」になりたいというのは、「作家」啄木の惨めな失敗を予告するようなものだった。啄木は決していい小説は書けない、「一定の主義、立ち場及哲学、思想」を確立するまでは。しかし啄木にそんな気はない。売れる小説を書くことを、憑かれたように闇雲に追い求めるだけである。

« 石川啄木伝 東京編 63 | トップページ | 石川啄木伝 東京編 65 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/533861/56561276

この記事へのトラックバック一覧です: 石川啄木伝 東京編 64:

« 石川啄木伝 東京編 63 | トップページ | 石川啄木伝 東京編 65 »