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2013年2月 4日 (月)

石川啄木伝 東京編 67

 植木貞子が啄木の留守中に来て「明治四十一年日誌」と「天鵞絨」の原稿と歌稿ノート「暇ナ時」を持ち去ったのである。「机上に置き手紙あり、曰く、ほしくは取りに来たれと。」
  予は烈火の如く怒れり。……
  小樽なる桜庭ちか子女史より来信。また母が自ら書きたる手紙を読む。

 貞子とのことはいわば痴話げんかである。日記その他は8月19日夕方貞子が自ら持ってきて、さめざめと泣きながら返していった。ただし貞子の悪口を書いた7月29日~31日の分は裂かれていた。
 母からの手紙は深刻である。何十年も字を書いていないカツが、少女時代に習った字を思い出し思い出しして書いているのである。内容ははやく東京に迎えてくれというのであろう。「心は益々乱れたり。」 当然だ。
 戻って来た日記にあとで(おそらく19日に)書き足した記述によると、14日茅野蕭々宅をたずねて「信濃の新聞」に就職の斡旋を頼んでいる。しかし啄木に就職する気はない。就職活動らしきことをすることで、苦境から目をそらせているのだ。「好き歩き」とたいして変わらない。17日「大坂新報のために小説”夏草”を書き初む。(十七日夜より)」とあるが、書いた形跡は見当たらない。小説を書けないから手紙を書いたり、金田一と将棋を指したりして日を送る。7月末の窮境も月末までは忘れられるのが啄木だ。

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