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2013年2月 8日 (金)

石川啄木伝 東京編 69

 8月22日。
  昨夜歩いた境地――生れて初めて見た境地――の事が、始終胸に去来した。
  結婚といふ事は、女にとつては生活の方法たる意味がある。一人の女が一人の男に身をまかして、そして生活することを結婚といふのだ。世の中ではこれを何とも思はぬ、あたり前な事としてゐる。否、必ずあらねばならぬこととしてゐる。然るに”彼等”に対しては非常に侮蔑と汚辱の念を有つてゐる。
 少し変だ、彼等も亦畢竟同じ事をしてゐるのだ。唯違ふのは、普通の女は一人の男を択んでその身をまかせ、彼らは誰と限らず男全体を合手に身をまかせて生活してゐるだけだ。
 今の社会道徳といふものは、総じて皆這麼
(こんな)不合理な事を信条としてゐる。
 ずいぶんご立派なお説である。しかしいやな物が纏わりついている。それはなんだろう。
 当時の女はある年齢に達すると「生きる=生存する」ためには「結婚」しなければならなかった。本来最高の幸せ最高の快楽であるはずのセックスは夫=男への義務と化した。セックスとそれに伴う出産・育児が、家事と共に女の義務であった。この義務を果たしてのみ女は生存できるのである。もし結婚しないのであれば職業を持つ道もあるように思えるかも知れない。しかし産業革命が完了し、これから資本主義を全面的に展開しようという20世紀初頭の日本には女性の近代的職業としては小学校教師か看護婦くらいしかなかった。それ以外では江戸時代を引き継ぐ髪結いとか芸者の仕事そして売春などである。もっともせつなくてもっとも手っ取り早い仕事が売春であった。

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