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2013年2月10日 (日)

石川啄木伝 東京編 70

 こうして、生きるためのセックスという点では「普通の女」も「”彼等”」も、していることはおなじである。たしかに啄木が言うとおりである。
 しかし次の点において啄木の意見は不当である。
 一、女が歴史的社会的制約の下でおかれているセックスの現状をおとしめている点で。
 二、おとしめた上で、結婚の(「普通の女」との)セックスも買春のセックスも同じであるとして、買春を合理化しようという下心がある点で。
 もう一つある。「普通の女」として今具体的に思い浮かべているのは妻節子なのである。夫をひたすら支えて生きようとする節子を侮辱している。作家になるためには節子も娘京子もお荷物なのだ。小説が書けなければ書けないほど(それは今の啄木に力が無いからなのだが)、妻子の存在が疎ましいのだ。
 啄木がこんな日記を書いた4日後の8月27日、節子は宮崎郁雨宛てに次のような手紙を書いた。長いけれど全文を引こう。

 葉月二十七日 阿つさは又々この二階をおそうて来ました。東京よりのたより切角まつてますがうちにはまだ来ません。啄木が偉くなれるかなれぬかは神ならぬ身の知る事が出来ませんがたれしも偉くなろうと云ふ自信は持つて居るでせう。ですがそう思ふて居る人がはたして偉くなり得る力を持て居るかどうかわかりませんのネ……然し私は吾が夫を充分信じて居ります。大才をもちながらいたづらにうづもるるゲザのたぐひではないかと思ふと何とも云はれません、世の悲しみのすべてをあつめてもこの位可なしい事はないだらうと思ひます。古今を通じて名高い人の後には必ず偉い女があつた事をおぼへて居ます。私は何も自分を偉いなどとおこがましい事は申しませんが、でも啄木の非凡な才を持てる事は知つてますから今後充分発展してくるやうにと神かけいのつて居るのです。だから犠牲になる等と云はれると何とも云はれず悲しくなるのです。私一人なら、決して決して(2つめの決して=くのじの踊り字)こんな弱いことは云はせませんがねー兄さん……四年も前から覚悟して居りますもの、貧乏なんか決して苦にしません、黄金とか名誉とか地位がはたしてどのくらゐの価があるのでせうねー兄さん……  (以下次回)

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