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2013年2月20日 (水)

石川啄木伝 東京編 75

 9月1日、読売新聞が啄木の送った釧路新聞の記事を送り返してきた。不採用は当然だ。
 日記の後半にこう記す。
  夜寝てから興を覚えた。久振に、数年振に興を覚えた。二時頃までに”青き家”その他十篇ばかりも詩の稿を起した。
 この日「心の花」9月号が届いたのだ。そこには北原白秋の「断章」が20編載っている。2編ほど引いてみよう。
  なやましき晩夏(おそなつ)の日に、
  夕日浴び立てる少女
(をとめ)
  余念なき手にも揉
(も)まれて、
  やはらかににじみいでたる
  色あかき爪
(つま)くれなゐの花。
     ――その十六、色あかき爪くれなゐの花

  泣かまほしさにわれひとり、
  冷
(ひ)やき玻璃(はり)(ど)に手もあてつ。
  窓の彼方
(かなた)はあかあかと沈む入日の野ぞ見ゆる。
  泣かまほしさにわれひとり。
     ――その二十九、泣かまほしさにわれひとり

 その時代の文学と思想に現れた最尖端を見逃したことのない俊敏の精のような啄木である。詩に薄田泣菫・蒲原有明が現れると、すぐかれらの真価を直観し、学び、摂取したことはすでに見た。
 今北原白秋が自分を抜いて詩の世界の最先端に立ったことを、啄木は「心の花」の7、8、9月号の「断章」を通じて認めたのである。が同時にこれまた詩人啄木の生涯を通じる特徴であるが、詩歌の尖端的傑作に出会うと、それらに刺激され触発され自分も必ず創作を試みるのである。
 それがこの夜の「”青き家”その他十篇ばかり」の詩である。

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