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2013年3月16日 (土)

石川啄木伝 東京編 87

 清田の結論は「鷗外が青年を『空中書』のように批判したことは十分考えられる」ということであった。
 そして「死を求むる者は死に就かしめよ。彼仮令生くると雖も、また社会にありて何の用をかなさむ。」という啄木を怒らせた鷗外の言についてはこう分析する。「鷗外が敬し、親愛の情を深く抱いて、そのMaxから孫真章の命名の来由となった人物」マックス・フォン・ペッテンコーファーの人生態度が根底にあるのであろう、と。
 啄木の言い分に即してみるとしよう。啄木はやたらと自殺を考える男である。最初の上京時大館ミツ方を追い出された時期の自殺衝動、これは理解できる。しかし、節子と婚約した直後、北海道へ落ちてゆくとき、そして今年の六月末から七月末にかけての「死ぬ、死ぬ」は狂言に近い。
 「空中書(二)」を書いたのは9月18日。この日から数えて「頃日(=近頃)」の観潮楼歌会は7月4日か9月5日である。集まったメンバーなどから推すと7月4日の方であろうか。それなら「死ぬことを/持薬をのむがごとくにも」思っていたちょうどその時期である。鷗外のちょっと過激な言に啄木が過敏に反応することは大いにあり得たのである。

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