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2013年3月12日 (火)

石川啄木伝 東京編 85

 9月16日突然思い立って万朝報の懸賞小説に応募すべく「樹下の屍」というのを書き始める。並木が遊びに来たので、話をしながら書きあげてしまい、並木が帰る時に投函を依頼する。もう投げやりである。
 9月17日、5月から岩手日報客員となっている新渡戸仙岳に宛てて通信文「空中書」を書くことを思いつく。署名洛陽一布衣で(一)を書いたのはこの17日、(二)は18日、(三)は20日の執筆である。それらが岩手日報に載るのはそれぞれ10月の13日14日16日であるが、執筆時の啄木の心事を知るためにここで(二)と(三)を見ておこう。
 (二)に署名がないのは洛陽一布衣が前提なのであろう。宛先は烏有先生(=実際にはいない仮の人物の名。実は新渡戸仙岳)。1面トップの記事である。
 冒頭と第2段落は大要次のようである。
 僕(記者すなわち洛陽一布衣)は昔烏有先生と談じたことがあった。先生は最後にこう言われた。『人生の事、知るべからず。味ふべき而己(のみ)。』と。
 僕は「一医生」を知っている。東大卒業直前に突然退学し、鎌倉の禅房に籠もって座禅をはじめた。その理由は、医学が非常に発達したと言っても、その医学は風邪の原因も分からず、必ず治せる病気は万病のうちの二、三に過ぎぬ。『此浅薄な智識を以て人間の生死を司ると謂ふ。』どうしてそんなことをやっていられよう。そこで「哲理」の本を読んだが、その「古今の学者」は「現今の医家の類のみ」。自分を救えないのに人を救おうとするのは、間違っている。だからこの禅房で『自己一人の事をなさむとする也』。これが彼の理屈である。僕は了解し『好し。』と言った。

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