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2013年3月20日 (水)

石川啄木伝 東京編 89

 ともあれ、この時以後啄木は鷗外に対して微妙な疎隔の念を抱くようになった。
 9月20日「空中書(三)」を書く。見てみよう。近時清国論である。
  之を表面より看れば、清国は二十世紀の原頭に横臥せる旧文明の残骸なり。……老耄年久しうして容易に起つ能はざるものゝ如く、徒らに列国耽視の場たるの観なきにあらず。
これは当時の日本と帝国主義列強の中国観をそのままに伝えている。
  雖然、少しく其内情を探査するに及んでは、かの膨大なる国土に鬱積せる潜勢力の偉且つ雄なる、何人か瞠目して而して驚嘆せざらむ。惟ふに、世界に二大伏魔殿あり。一は即ちザールの天下にして、他は即ち愛親覚羅氏の国。

 啄木は言う。凄い潜在力をもつ国が二つある。一つは「ザール」すなわちツァーリ(皇帝)のロシア、もう一つは愛親覚羅(清朝帝室の姓)氏の国すなわち外でもない清国。
 両国ともに国民の潜勢力が未知数である。ロシアに虚無党あり、清国に哥老会あり。
そして「ザールの社稷恐くは鮮血渦中に没し去ること無からむか」と記す。これから9年後の1917年にロシア十月革命、1年後の18年7月にはニコライ二世とその家族銃殺。予言があたった。
 日本と清国についてはこう予言する。文中の「李杜」は李白と杜甫。
 人よく今の日本を以て古希臘に比す。其説必ずしも所依なきにあらず。然らば乃ち、古羅馬の大業は之を志那の将来に待たむ乎。世界第二十一世紀の劈頭に大呼するもの、夫れ李杜二聖を出せるの民乎。
 この中国に関する予言は100年後にどうなったか。21世紀に隣国を見ているわれわれは驚嘆するほかない。大予言である。

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