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2013年5月12日 (日)

石川啄木伝 東京編 114

 今年4月22日の大島経男宛の書簡をすでに見たが、そこでは「ロマンチツクの影」すなわち「天才意識」が「空想」を生み、その「空想」が「空想を生みて尽くる所なし」になる様を啄木自身が分析しているのだった
 今作家としてほとんど自信喪失している啄木の目の前に、二つの鏡が置かれていて否応なしに内なる自己像を写す。一つは『その前夜』である。
 もう一つはおなじくツルゲーネフの『うき草』(二葉亭四迷訳)である。こちらは10月31日貸本屋から借りて読んだ。主人公ルーヂンはある村の貴族の屋敷に現れた、弁舌さわやかな若い論客である。口先では理想を説くが、いざ実行となるとからきしだめである。だから「空論家」であるし、結局は「虚言家」でもある。節子が夫は「ゲザのたぐひではないかと思ふと何とも云はれません、世の悲しみのすべてをあつめてもこの位可なしい事はないだらうと思ひます。」と言ったあの「ゲザ」とも共通する人物である。
 啄木はルーヂンの中に自分が写っているのを見ている。
 そして流行の自然主義に沿って「連想」をさらに進める。

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