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2013年5月14日 (火)

石川啄木伝 東京編 115

 余程(よほど)以前(まへ)の話だ。汝の一家が或る市(まち)に住んでゐて、衣類を典じ、家財を売つて其日々々を過してゐた事があつた。神経衰弱に罹つてゐた汝は一家の柱石(ちうせき)たる境遇にゐた。そして、朝から晩まで「考へる」といふ事業(しごと)をしてゐた。成程汝は其時、胸の中(なか)で日に何回となく大著述を完成し、日に何回となく大栄誉を担(にな)つた将軍の心持で人なき室(へや)を睥睨(へいげい)し、日に何回となく家族を馬車に乗せて音楽会などへ遣つた。そして汝は、老いたる両親(ふたおや)の為に、別荘を建て、美衣美食を調へた。――そして、そして、汝自身は痩せた指で、「はぎ」といふ刻煙草を平(ひらうち)の煙管(きせる)に詰めて、苦い顔をして朝から晩まで燻(いぶ)してゐた。
 盛岡での新婚生活もだいぶ経った頃の自分自身の活写と考えてよい。「連想」は続く。
 或日の夕方、二度も三度も呼ばれて汝は漸く晩餐の席についた。食卓(ちやぶだい)の上の、大きい丼に山盛にされた物は何であつたか?
  (大層美味
(おいし)く漬(つ)かりました。)と汝の若き妻は賞めた。
  それは何であつた? 蕪菁
(かぶら)の漬物!
  汝の老いたる父だけは、別膳でチビリチビリと、二合の酒を嘗めてゐた。
  (松太郎や。)と汝の母が言つた。
  (奈何
(どう)しよう。お米は明日(あす)の朝までで少し足らない位だが、アレを売らうか、アノ台所で用(つか)つてる戸棚を。松太郎?)
汝が黙つてゐたので、母が再
(また)
  (外に……モウ大抵売つたから喃
(のう)!)
  と言つて、悲
(かなし)(げ)にホホヽヽと笑つた。
これも記憶によって再現された事実であろう。

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