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2013年6月26日 (水)

石川啄木伝 東京編 136

 この安易に得た天理教観から生み出される、理念のない、熱意のない、自信のない布教師横川松太郎。この松太郎が村人の赤痢への恐怖につけ込んで、布教に少しばかり成功する。そしてすぐに失敗する。ただこれだけの話である。この小説の結びを引こう。
 寝床の中の松太郎は手足を動かすことを忘れでもした様に、ビクとも動かぬ。あらゆる手頼(たより)の綱が一度に切れて了つた様で、暗い暗い、深い深い、底の知れぬ穴の中へ、独ぼつちの魂が石塊(いしころ)の如く落ちてゆく、落ちてゆく。そして、堅く瞑(つぶ)つた両眼からは、涙が滝の如く溢れた。滝の如くとは這麼(こんな)時に形容する言葉だらう。抑へても溢れる。抑えようともせぬ。噛りついた布団の裏も、枕も、濡れる、濡れる、濡れる。…………
 信念の無い布教師・虚言家・弱小俗物・横川松太郎が、自分の噓・まやかしが暴露したからといって、なんと大げさに泣くことか。
 啄木がこの小説で書こうとした主題は何なのか。
 「横川松太郎」という主人公名からすぐ浮かんでくるのは小説断片「連想」の「汝青木松太郎、乃ち予」である。啄木はこの「予」についてこう述べていたのだった。「遂に予は空想家である。遂に予は空論家――否、虚言家である。憐むべき軽薄なる虚言家である。?つきである。常に、而(しかうし)て、凡てに於て!」この自己告白を誠実に作品化していれば立派な小説になったことであろう。  
 しかし実際にはみじめな失敗に終わった。なぜか。

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