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2013年6月30日 (日)

石川啄木伝 東京編 138

 上田博のつぎの言は、わたくしとは切り口が異なるが、卓越した指摘である。
 「赤痢」にみられる民衆把握の弱さは、実は啄木のこの時期の自己把握の方法的弱点と表裏一体のものであったのである。
 であるならば、啄木が「自己把握の方法的弱さ」を克服する時は、「民衆把握の弱さ」を克服する時でもあろう。
 せっかく発表の場を得ても書けたのはこの程度の小説であった。そして何よりもショックだったのは「鳥影」連載をこの歳末をもって打ち切られたことである。軽んじた新聞小説の作家としても落第の烙印が押された。もっと切ないのはまたしても無収入になったことである。
 こうして啄木の1908年は終わった。大晦日の夜は「スバル」の出資者・経営者・平出修が自宅で平野と啄木の労をねぎらったらしい。

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